義兄の車
3人は聴取の傍らXの親族にどの様な人物がいるかも入念に調べていた。
すると、Xの姉がXと警察学校同期の警察官と結婚していたことや、自分の同期であり姉の夫、つまり義理の兄がワゴン車を所有していたことが判ったのである。
しかもそのワゴン車は、何とトヨタのエスティマ「ルシーダ」だったのだ。
Xが「自分が撃った」と自供してから1週間後の96年5月11日、石室はこの件をXに聴いている。
当初Xは「以前、福島県に旅行した時と、菊坂寮から引っ越しする時の2回以外は絶対に借りていません」と頑として否定していた。
その後、6月4日の調べで石室が「現場付近でエスティマが目撃されているが、本当に借りていないのか?」と尋ねると、Xは「その車のナンバーはわかっているのですか?」と問い返してきた。石室は答えなかったが、既に石室らが裏を取ったうえで聴いてきていると観念したのかXは次のように明かしたのである。
オウムに貸していたエスティマ
「2回以外は借りていないと言いましたが、実は井上から『車を借りられないか?』と頼まれたことがありました。
それがいつだったか、電話でお願いされたのか直接会っている時にお願いされたのか定かではないのですが、事件直前の3月25日か27日の朝だったかと思います」

「義理の兄が勤務で留守だったので姉から承諾を得ました。仕事で使う、明日までには返す、鍵はポストに入れておくと、借りるにあたって手順を決めました。
車を用意できることを井上に話すと平岩聡さん(仮名・オウム信者)も一緒に来てくれることになったので、東陽町のホテル前の交差点で待ち合わせました」

「姉のところには私が車のキーを取りに行き、1階で待っていた平岩さんに姉の部屋番号を教え、返却時にはポストにキーを入れるよう伝えました。
その後平岩さんと2人で駐車場に行き、私が運転して葛西橋通り、四ツ目通りを通って菊坂寮に向かいましたが、途中『急いでいるから」と平岩さんに言われて運転を代わり、東大赤門あたりまで送ってもらいました」
石室が「その車はどう使われたの?」と尋ねると「車を使う目的は聞いていませんでしたし、どんな風に使われたかも知りませんし、見ていません」と答えるだけだった。
「エスティマは正確にはいつ借りたんだ?思い出せないのか?」と日時を問いただすと、「夜に行ったのと、服装は深緑色のジャンパーを着ていったのは覚えていますが日付が思い出せません。日付が思い出せないのと、何に使われたかも知らないのでこの件は言いませんでした」とXは言い訳をしてくる。
ここでXは「姉に電話をさせてください。確認しますので」と言ってきたので、実際に電話をかけさせ確認させる。ところが、この時点でXの姉は覚えていないと答え、車の貸し借りの話は判然としなかった。
X自ら明かした話により、Xが少なくとも事件前に義兄から車を借り、その車種が現場周辺で不審車両として目撃された車の車種と後部ナンバーの状況から矛盾しないことがわかった。
義兄の車が下見に使われた可能性は残されたのである。
義兄の車が当時どこを走っていたのか、Nシステム=自動車車両ナンバー読み取り装置の情報を調べたが全くヒットしなかった。目撃情報通りナンバーに泥がついていたのであればNシステムはヒットしない。読み取れないから当然だ。
「ナンバーに泥をつけておけばNシステムにヒットしない」
これをXが井上にアドバイスしていたことを栢木は思い出す。
オウム信者で警視庁巡査長のXの存在が明らかになった当初、事情聴取を行った国島監察官にX本人が明かした話だ。(※第13話参照)
義兄の車のNヒットがなかったことは、Xのアドバイスが現実に実行されていたことを物語っていた。
【秘録】警察庁長官銃撃事件24に続く
【執筆:フジテレビ解説委員 上法玄】
1995年3月一連のオウム事件の渦中で起きた警察庁長官銃撃事件は、実行犯が分からないまま2010年に時効を迎えた。
警視庁はその際異例の記者会見を行い「犯行はオウム真理教の信者による組織的なテロリズムである」との所見を示し、これに対しオウムの後継団体は名誉毀損で訴訟を起こした。
東京地裁は警視庁の発表について「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として原告勝訴の判決を下した。
最終的に2014年最高裁で東京都から団体への100万円の支払いを命じる判決が確定している。