天守の周囲を四重に囲み、水都大垣を体現していた堀はすっかり失われており、全体としての景観は永遠に戻らないものの、前進ではある。

内部の見どころも増した岡山城

昭和41年(1966)に竣工した岡山城の外観復元天守は、令和4年(2022)11月に、約1年を費やした改修工事が終わった。外壁をおおう下見板には、艶やかな漆黒の壁面がよみがえり、最上階の壁面にあった華灯窓も、再建時には省略されてしまっていたのが再現された。

岡山城(画像:イメージ)
岡山城(画像:イメージ)

また、内部にも見どころができた。空襲で焼失する前は2階に、床の間、違い棚、帳台構がしつらえられた書院造の城主の間があった。

それが鉄筋コンクリート造の内部に木造で再現されたのである。小田原城天守の最上階のように、往時の空間が一部であっても、視覚をとおして確認できるようになったのはうれしい。

とはいえ、石垣を崩してもうけた地階とその開口部は、以前と変わらず天守の入口として使われている。史跡の状況が、破壊をともなって根本的に改変されてしまうと、もとに戻すのはきわめて困難だという例で、教訓にすべきだろう。

改修でもっとも変わった福山城

改修をへて見た目がもっとも変わったのは福山城天守だろう。この城は昭和41年に再建された際は、戦災で焼失する前の姿と大きく変わってしまっていた。

しかし、令和4年8月の築城400年に向け、その2年近く前から耐震補強を兼ねた改修工事が進められた結果、天守は戦前の雄姿に近い外観を取り戻すことになった。

福山城(画像:イメージ)
福山城(画像:イメージ)

最大の変化は、北側の壁面に鉄板を張り、この天守の最大の特徴をよみがえらせたことだった。

鉄板も天守と一緒に焼失したため、これまで、その形状はもはやわからないと考えられていた。ところが、福山市内にその一部が保存されており、小さな鉄板をすき間なく張り合わせていたことが判明したため、再現することが可能になったのである。

また、北面以外の窓も、これまですべて白く塗られてしまっていたが、窓枠や格子に銅板が巻かれていた戦前の色彩に近づけられた。

最上階の華灯窓も、焼失した天守と同じ位置に移され、真壁の柱もこれまで白かったのが黒く塗られた。廻縁の高欄、つまり手すりも、これまで寺社建築のように赤く塗られていたが、元来の黒っぽい木調になった。

細かな指摘をすれば、いろいろある。

窓枠や格子をおおっているのは、戦前のような銅板ではなくアルミであるし、最上層の真壁には木材は使われず、コンクリートで柱のように造形し、彩色しているだけである。

とはいえ、天守のプロポーションも破風の形状も、昭和41年に再建された当時のままなのに、こうして意匠をあらためただけで、印象がはなはだしく変わることに驚かされる。見た目だけでも元来の姿に近づいたことは、素直によろこぶべきことだろう。

『お城の値打ち』(新潮新書)

香原斗志
歴史評論家、音楽評論家。日本古代史から近世史まで、幅広く執筆活動を行う。主な著書に『教養としての日本の城』など。

香原斗志
香原斗志

神奈川県横浜市出身。歴史評論家、音楽評論家。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本古代史から近世史まで、幅広く執筆活動を行う。音楽評論家としてはオペラを中心にクラシック音楽全般について評論活動を続ける。主な著書に『教養としての日本の城』など。