1800人超の被害者たちが参加 連日開かれる異例の裁判
ステファン・サラドさん:
「彼は、私の息子でもあり、親友でもあり、そして私の人生の一部でもありました。息子は愛にあふれた人生を送ると思っていました。しかし、私は彼を永遠に失いました」
2021年10月、14人の被告人を前に、男性は声を詰まらせながら、証言台に立った。
法廷に設けられた大きなスクリーンには、笑顔で写る息子の写真。
ユーゴ・サラドさん(当時23歳)だ。
6年前の2015年11月13日、ユーゴさんは23歳で命を絶たれた。
パリ市内のコンサート会場にいたところ、突然、ステージに現れた過激派組織「イスラム国」のテロリストが、客席に向かって銃を乱射。即死だったという。
パリ同時多発テロでは、ユーゴさんを含む130人が犠牲になった。そして、300を超える人が負傷した。
多くの人を巻き込んだこのテロの裁判には、遺族や生存者およそ1800もの人が被害者参加制度を使って参加している。
用意された傍聴席は2000席にのぼり、連日開かれる公判の様子は、別の法廷にも中継される。
全ての行程が録画されていて、まさに歴史に残る裁判だ。
「息子は日本が大好きだった」 証言台に立った父親が語ったこと
ユーゴさんの父親、ステファンさんも、裁判に参加した。
彼は、何を伝えたかったのか-。
ユーゴさんの父・ステファン・サラドさん:
「テロの15日前、日本への旅行から帰ってきたばかりのユーゴが、パリの私の家を訪ねてきました。日本は、私とユーゴにとって、思い出の詰まった場所です。ユーゴは日本の他人を尊ぶ文化に魅せられ、何度も2人で旅行しました」
ユーゴさんは、日本が大好きで、何事にもおじけず、挑戦する性格だった。将来、日本に留学して、情報工学を研究することを目標にしていたという。
実はユーゴさんは、ステファンさんが前妻との間にもうけた息子だった。
両親が離婚したことで悩む時期もあったようで、以前、父・ステファンさんに、ある悩みを打ち明けていたという。
ユーゴさんの父・ステファン・サラドさん:
「ある時、ユーゴは、離婚をなかなか受け入れられない、大人になることへの戸惑いや恋愛の悩みを抱えているんだと話してくれました。そしていつか、これらの悩みから解放されたと感じられた日がきたら、その時は、『リベルテ(解放)』を意味する日本語の漢字『JIYUU(自由)』のタトゥーを彫りたいと話してくれました」
以前からこのように父親に自らの思いを打ち明けていたユーゴさん。
テロに巻き込まれる15日前、日本から帰国して父・ステファンさんのもとを訪ね、笑顔であるものを見せたという。
ユーゴさんの父・ステファン・サラドさん:
「ユーゴに会った最後の夜、胸には、『JIYUU(自由)』という2文字の漢字が力強く刻まれていました。ユーゴは笑顔に溢れていました。これが、彼からの最期の贈り物です」
ユーゴさんは、東京への旅行中に「JIYUU(自由)」というタトゥーを彫ってもらったそうだ。
そして、それから間もなくして、11月13日。ユーゴさんは、ステファンさんがプレゼントしたチケットを手に、コンサート会場に向かい、テロに巻き込まれた。
ステファンさんは、当時の状況をこのように語っている。
ユーゴさんの父・ステファン・サラドさん:
「午後8時頃にユーゴからショートメッセージが送られてきました。『最高だよ!また後でね』と書かれていました。コンサートの後には、一緒に家で夕飯を食べる約束をしていたんです。
9時半頃、テロの話を聞いて、ユーゴにショートメッセージを送りましたが、返事はありませんでした。きっと死んでいない、ユーゴは安全だ、そう祈りながら、とにかく情報を探しました。
午前1時半ごろ、テレビを見ていると、『警察が突入しました。多くの人が死亡しています』と記者が冷静にリポートしていました。
体の中で何かが壊れていくのを感じました。世界が一変しました。ユーゴを永遠に失ったのです」
テロリストに対抗するためにー 遺族が立ち上げた日仏奨学金
テロから6年。
ステファンさんは、彼なりのやり方でテロリストと戦ってきた。
「JIYUU・ユーゴ・サラド奨学金」。
自らの財産と友人などからの寄付をもとに、奨学金を立ち上げたのだ。
日本で学ぶというユーゴさんの目標と同じ夢を持つ学生を応援したい。その思いからだそうだ。
ユーゴさんの父・ステファン・サラドさん:
「テロリストの目標は、私たちを恐怖に陥れ、分裂させることです。しかし、人は異文化に触れ、人と触れあうからこそ、世界は広がるのです」
異文化に触れ合える人は、決してテロリストにはならない-
ステファンさんにとって、この奨学金は、テロリストに対抗する武器だ。
ステファンさんが、テロに立ち向かおうと動き出すまでにも、苦労はあった。
喪失感にさいなまれ、車の中で一人、ただ叫んでいた夜もあったという。心療内科にも通ってきた。その上で、今は、憎しみの上には何も生まれない、と思えるようになったのだそうだ。
これまでに、10人ほどの学生が「JIYUU・ユーゴ・サラド奨学金」を使って日本に留学し、ステファンさんと息子・ユーゴさんの思いを継いでいる。
歴史的な裁判で遺族が望むこと
テロの実行犯の一人、サラ・アブデスラム被告は、初公判で職業を聞かれ、「イスラム国の戦闘員」だと答えていた。
ステファンさんは、こう語る。
「私も戦闘員です。私の武器は、議論する力、反論する力、そして表現の自由です」
2022年5月までの約9カ月間開かれるこの裁判。当時の状況などが克明に記録されるわけだが、ステファンさんは、この裁判がテロを断ち切るための議論の場になって欲しいと訴えている。
ユーゴさんの父・ステファン・サラドさん:
「同じフランスで育ったとしても、私たちが気をつけなければ、子どもたちは15年後、20年後に加害者になりかねません。このような悲劇が二度と起こらないためにも、私たちは、証言台に立つのです。この裁判が議論の場になってほしいと思っています。なぜこうなったのか、(被告・政府も含め)関係者全員が責任を明らかにし、理解するための場になってほしいのです」
いま、ステファンさんの胸には、ユーゴさんと同じタトゥー「JIYUU(自由)」の文字が刻まれている。東京で、ユーゴさんと同じ彫り師にお願いしたそうだ。
ユーゴさんたちの命が突如奪われてから、11月13日で6年が経った。
立ち止まりながらも必死に前を向く遺族たちの勇気。
これが、テロの根絶に繋がるよう願っている。
【執筆:FNNパリ支局 森元愛】