北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記の娘で「キム・ジュエ」と呼ばれる女性の“爆速成長”が、北朝鮮社会に思わぬ波紋を広げている。

13歳にして身長165センチ超とみられる彼女の姿に刺激を受け、「背が高くなる薬」への関心が庶民の間で急上昇している。
韓国製の栄養剤「テンテン」が密かに人気を集める一方、北朝鮮産の“成長促進薬”も登場し、子どもの身体能力向上をめぐる競争が加速している。

栄養格差と特権階級の象徴とも言える「高身長熱」が、経済難と食糧難の続く北朝鮮の新たな“上昇志向”を映し出している。

2年半で20センチ伸びる?

北朝鮮東部の江原道(カンウォンどう)・元山葛麻(ウォンサンカルマ)観光地区の竣工式が6月24日開かれ、ジュエ氏は、金総書記とともに終始、行事の中心にいた。

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白のツーピースにヒールのサンダルを履いたジュエ氏は金総書記と並ぶと、ほぼ同じくらいか、やや高いぐらいの身長になる。
金総書記の身長は約170センチと推定されていることから、ジュエ氏は165センチ以上と見られる。
2022年11月に北朝鮮メディアに初めて登場した際は、金総書記の肩ぐらいまでだった身長が、2年半の間に20センチ近く伸びたと言える。

ジュエ氏は2013年生まれで、年齢は13歳前後とされる。北朝鮮の11歳の子どもの平均身長は約142センチ、体重37キロ。20代の成人女性でも154センチ、52キロ程度というから、ジュエ氏の体格は平均を大きく上回っている。
ジュエ氏の“身長”は単なる成長の証ではなく、一般庶民とは異なる「特別な存在」であり、特権と威信の象徴であることを示している。

竣工式では久しぶりの親子スリーショットが(2025年6月)
竣工式では久しぶりの親子スリーショットが(2025年6月)

竣工式には金総書記の妻・李雪主(リ・ソルジュ)氏も参加し、公式の場に1年半ぶりに姿を現した。母娘2人は身長から体型、ヘアスタイルにファッションもそっくりで、見分けがつかないほど似ている。

金総書記の傍らでファーストレディ役を務めるジュエ氏の姿も堂に入ったものだ。
一方、李雪主氏は常に娘の後ろに控え、黒のズボンに白のブラウスと地味な装いで娘の引き立て役に徹した。
ファーストレディの座を譲り渡すことで、金総書記に次ぐ存在としてジュエ氏の地位の向上を印象付けたのである。

韓国製「背を高くする薬」

ジュエ氏の急速な成長の影響で、北朝鮮住民の間では子どもの成長や発育に対する関心が高まっているという。

アメリカ米政府系放送局の自由アジア放送(RFA)は4月下旬、ジュエ氏の成長を目にした北朝鮮住民の間で「背を高くする薬に対する関心が高まっている」と伝えた。
中でも、背を伸ばす効果があるとされる韓国製の栄養剤「テンテン」を求める住民が増えているという。

北朝鮮住民の間でテンテンは「ビタミンA、B1、B2、B6、C、D、Eが含まれた成長発育期の栄養剤で、子どもだけでなく大人の免疫強化や肉体疲労回復剤」としてよく知られている。
「中国の栄養剤よりも韓国の栄養剤の方が効能が高い」との評判が口コミで広がり、党幹部や富裕層がこぞって買い求めるとも言われる。

韓国では1缶120個入りが2万5000ウォン(約2660円)程度で販売されているが、北朝鮮では500中国元(約10280円)程度と、3倍以上の値段で取引されるそうだ。
そもそも韓国製品の輸入は禁止だがパッケージを変えるなどして持ち込まれ、買いたくても買えないほど人気を集めている。
一部の住民は、海外を行き来する幹部や貿易関係者に頼んで、背の高くなる薬を注文する住民もいる。

北朝鮮では身長が150センチ以下だと軍隊に入隊できず、建設突撃隊や農場など社会的に下層な職場に配置されてしまう。「身長のため集団生活でも萎縮し、社会の落伍者のような扱いを受けることも多い」との証言もある。

韓国でも身長が低いと結婚などで不利になるとされ、身長ビジネスが盛んだが、北朝鮮では「身長」は特権階級の象徴にまでなっているのがわかる。

庶民は反発も? 

平壌では5月に北朝鮮企業をはじめロシア、中国など110社余りが参加し、国際商品展覧会が開催された。

5月に平壌で開催された国際商品展覧会、赤丸内に「背を大きくする薬」の文字
5月に平壌で開催された国際商品展覧会、赤丸内に「背を大きくする薬」の文字

電子製品から化粧品、衣類、靴など多様な商品が展示される中、特に目を引いたのは「子供の背を高くする栄養剤」だった。
ジュエ氏の成長を見た北朝鮮の親たちが、「うちの子も背を伸ばしたい」と考え、背を伸ばす栄養剤や栄養素の需要が増えたと考えられている。

「頭脳栄養カプセル」集中力、記憶力を高めると説明されている。
「頭脳栄養カプセル」集中力、記憶力を高めると説明されている。

子供の集中力と記憶力に役立つという「頭脳栄養カプセル」なども出品されるなど、子供向け栄養剤の開発が目立った。
背景には北朝鮮社会でも少子化が進み、一人っ子家庭が多くなっている現状がある。
親たちの関心は否が応でも、身体能力や学業成績など、北朝鮮社会でこどもの「身分上昇」をいかに実現するかに注がれる。

一方、いまだ食糧不足問題を抱える北朝鮮で、こうした高価な栄養剤は一部の特権層や輸出用が主で一般庶民には高嶺の花だ。
5歳未満の北朝鮮児童の発育不振は韓国の10倍、住民の45.5%が栄養不足を体験しているとのデータもある。

このため、ジュエ氏の成長や華やかな身なりが北朝鮮メディアに露出されればされるほど、反感を覚える北朝鮮住民も少なくないと見られている。

金総書記はこれまでも「人民大衆第一主義」を掲げ、北朝鮮住民の生活向上や都市と農村の格差解消をアピールしてきた。
ジュエ氏後継に向けての環境づくりには、北朝鮮の次世代を担う子どもたちの栄養状態改善と身体能力の格差解消が課題と言えそうだ。
(執筆:フジテレビ客員解説委員 鴨下ひろみ)

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鴨下ひろみ
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「小さな声に耳を傾ける」 大きな声にかき消されがちな「小さな声」の中から、等身大の現実を少しでも伝えられたらと考えています。見方を変えたら世界も変わる、そのきっかけになれたら嬉しいです。
フジテレビ客員解説委員。甲南女子大学准教授。香港、ソウル、北京で長年にわたり取材。北朝鮮取材は10回超。顔は似ていても考え方は全く違う東アジアから、日本を見つめ直す日々です。大学では中国・朝鮮半島情勢やメディア事情などの講義に加え、「韓流」についても研究中です。