島根県松江市にある子育て施設では、月に数回「おもちゃの病院」が開催されている。そこで壊れたおもちゃをボランティアで“治”しているのは、職場など現場の第一線を退いた男性たちだ。だれもが、どこか嬉しげに作業に当たっている。

日本人の平均寿命が過去最高を更新し続け、「人生100年時代」という言葉が現実味を帯びてきている。しかし一方で、その生き方については誰も教えてくれず、多くの人が不安を抱え、どう生きるかを手探りで探している。

雇用の延長が進んでいるとはいえ、リタイアした後の長い余生をどう生きるのか。第一線から退いた後、自分にできることはまだあるのか。自分の存在価値はどこにあるのか。

おもちゃの治療をしているドクターたちは皆、長年、おもちゃとは関係のない別の世界で働いてきた人間ばかり。彼らを通して見える、長い余生の生き方とは。

前編では、2人のドクターの半生を追う。

【後編】「こんなに長く元気でいるとは」 高齢おもちゃドクターに学ぶ、人生100年時代の歩き方

ボランティアの高齢者がドクターを務める「松江おもちゃの病院」

島根県松江市が誇る絶景といえば、真っ先に挙がるのが宍道湖の夕陽だ。たくさんの観光客たちが湖畔に集まり、その光景にカメラを向けている。

確かに夕陽は美しいが、「日没」という言葉にはネガティブな響きもある。どうして人々は夕陽に魅せられるのだろう。

松江市内に住む小川忠造さんは、89歳。すでに日本人男性の平均寿命を超え、いわば“人生の夕暮れ時”を迎えた世代だ。

松江市立病院に隣接した建物内にある子育て支援施設では、月に1、2回「松江おもちゃの病院」が開かれている。小川さんは、そこで“ドクター”をしている。

おもちゃの病院は、壊れたり正常に動かなくなったりしたおもちゃを治療してくれる場所。1996年に全国組織化され、現在はおよそ600の団体が所属。全国に1600名近いおもちゃドクターがいる。

松江のおもちゃ病院でドクターを務めるのは、ボランティアの高齢者たちだ。子どもたちの物を大切にする心を育てるという重要な仕事。ほとんどが年金生活者だが、報酬なしでおもちゃの治療に励んでいる。

小川さんもその1人だ。月に数回のおもちゃの病院の日以外は、特にすることもなく、のんびりした毎日を過ごしている。

おもちゃの病院が開かれる日は、自ら15分ほど車を運転し、会場まで出かけて行く。89歳とは思えない行動力だ。運転しながら、「楽しみなんですよ。おもちゃの病院の日は、そわそわしてるって家内が言うんだよ」と微笑む。

地方都市の移動手段は、車が主役。小川さんも、高齢ドライバーの事故が多発しているのは気にしている。だが、いつまで運転できるかは、いつまでおもちゃの病院へ通えるかを意味する。

実は去年の更新の際、視力がギリギリだった。

「来年が免許更新ですが、どうかな…。次回は、もうやめなさいって言われるかもしれない」

小川さんは、松江のおもちゃの病院のメンバーの中では最年長。いつまでドクター業をできるのか――。心は揺れている。

古くなっても丁寧になおせば再び役に立つ

松江おもちゃの病院は、場所を変えながら月に数回開催されている。スタッフは、受付やドクターを含めて20人ほど。

おもちゃが持ち込まれると、受付で症状についてまとめたカルテが作成された後、ドクターたちに引き継がれる。

治療できないと診断されてしまうのは、ICチップが壊れたものやボロボロのプラスチックなど。最近では、国内メーカーのおもちゃであっても、部品が手に入らず、“治”せないケースも多いという。生産拠点が海外に移ってしまった影響だ。

料金は基本的には無料だが、ネジなど細かな部品を交換した場合は実費がかかる。だいたいは数百円程度だが、高いと千円ぐらいになることもある。

修理に時間がかかるものや仕組みがわからない場合は“入院”だ。ドクターが自宅に持ち帰って修理するのだ。

小川さんが入院したおもちゃをなおすのは、自宅の2階にある踊り場。そのわずかなスペースを修理工場として活用しているのだ。

妻の雅子さんによれば、小川さんは家でおもちゃの修理ばかりしているという。

「おもちゃがないときは、時間を持て余していますよ」

ここ数年、老眼が進んだという小川さん。さらに手元の震えもあるため、細かな作業は難しい。お世辞にも手つきが鮮やかとは言えないが、それでもハンダ付け作業をもこなし、時間をかけて修理する。

古くなってあちこちにガタが来ても、丁寧になおせば、再び役に立つ。新品に戻ることはないが、ある程度動けばおもちゃは捨てられることはない。

定年後に出会ったおもちゃの病院という新しい世界

小川さんは、1930年(昭和5年)に生まれた。太平洋戦争末期、少年船員として軍需物資を運ぶ任務で南方へ。

終戦後は、長く日本郵船に勤務。常に外国航路へ出ていて、国内にいることはほとんどなく、男の子二人の子育ては妻任せにしてきた。

「自分の子どもとは、あんまり会えなかった。日本に帰ってきても、1カ月ぐらいでまたすぐ海外に行っちゃって1年近く会わないときが多かったから…」

夢中で働くあまり、子どもに向き合う時間をないがしろにしてきたのだ。

56歳で陸に上がった後、自動車修理工場などに勤務。その後、人生も終盤にさしかかった68歳の時、おもちゃの病院に出会った。小川さんは思わぬ感動を覚えたという

「まったくの別世界だった。こんな世界があったんだ、って」

68歳にして、新しい人生がスタートしたのだ。それから21年。今も、どんな症状にも常に一生懸命だ。

恥ずかしくても格好悪くても、可能な限りは続けたい

小川さんのもとに、一台のおもちゃのベビーカーが持ち込まれた。後ろ側の足をつないでいた鉄の軸が2本外れ、使えなくなってしまった。

ドクターたちは、修理に必要な部品を自分で調達にいく。小川さんは、ホームセンターや100円ショップのどこにどんなものが売っているのか、だいたい把握しているという。

ホームセンターに車を止め、売り場をウロウロ。目的のナットを探すのに苦戦していたが、見つかって一安心。ところが、今度は財布がない。車の中の鞄を探しても、やはり見つからない。

別の鞄、上着やコートのポケットの中かもしれない。そう思い当たって、自宅に戻ろうと車を走らせる。

家中を探して、コートかけの上着のひとつから、ようやく財布を発見。「恥ずかしいなあ」と苦笑いした。

再びホームセンターへ。多少恥ずかしくても格好悪くても、おもちゃの病院をやめる気はない。

買ってきた部品で、ベビーカーの修理を開始。多少の不具合があるぐらいで捨てられては、やりきれない。古いおもちゃと自分の姿が重なる。

しばらくしてふと気が付くと、ナイフを使う指先から血が出ていた。しかし、本人は夢中で気がついていない。仲間に指摘されると、手を洗って絆創膏を貼り、すぐに作業を再開。さらに、素手で電動ドリルを使い出す。危険にも無頓着だ。

新しい軸を通したら、鉄用ノコギリでカットし、ネジで留めれば完成。壊れたとしても工夫してなおせば、まだまだ生かせる。それは、人も物も同じなのだ。

復活したベビーカーは、翌月の開催日に依頼主の元へと戻っていった。

「難しいおもちゃがなおったときは、やり遂げたって感じですね」

しかし年齢的なこともあり、小川さんは数年前に一度、おもちゃの病院の活動から引退したことがあったという。小川さんが笑いながら、こんなふうに回想する

「引退宣言して2日は我慢してたわけ。でも、テレビ見てても面白くないわけですよ。それで、やっぱりだめだ、引退はやめた、って」

いつしか、小川さんにとって病院は不可欠な存在になっていたのだ。今は可能な限り、続けたいと思っている。

10年前に東京から移住。「おもちゃの病院があって本当に助かった」

松江おもちゃの病院のメンバーの一人、石原久芳さんは69歳。ドクターのなかでは、少し異色の存在だ。島根県の出身だが、高校卒業後は大学進学で九州へ。就職したのは東京。10年前、親の仕事を継ぐため島根に戻ってきた。

松江おもちゃの病院に参加したのは、このタイミングだ。とはいえ実は石原さんは、33歳のときに東京・府中市でおもちゃの病院の立ち上げにも参加したベテラン。

航空機関係の仕事やパソコン周辺機器のメンテナンスの仕事など、多彩な職歴を重ねながら、結婚はせず自由な生活を送ってきた。

ドクター歴の長い石原さんは、治せるもの、治せないものの見極めが早い。修理の際も、壊れた箇所を素早く見極め、手際よく作業していく。おもちゃの病院に欠かせない戦力だ。

私生活も、なかなかの異色ぶりだ。家業は、奥出雲町の神主。今では三つの神社を管理している。さらに、JR木次線の無人駅「出雲八代駅」での事務作業も請け負っている。

いくつもの顔を持つ自由人に見えるが、現実は厳しい。他のドクターたちほど年金収入があるわけではないため、仕事は選べない。メカやプラモデルが好きなマニアックな一面もあるものの、東京を離れると仲間はいない。地元では周囲と話が合わないという。

独身の上、まもなく70歳。東京暮らしが長かった石原さんにとって、山間・奥出雲町での暮らしは寂しさを感じることが多い。

住まいは、両親が住んでいた実家。最近では趣味のプラモデル作りもあまり進まず、作りかけで放置されたものばかりが溜まってゆく。

「楽しいことは、最近はもうあんまりない。暇なときは寝てますね」

奥出雲町から松江までは、車で約1時間。決して便が良いとはいえないが、石原さんは欠かさずやってくる。おもちゃの病院は、子どもたちやおもちゃだけでなく、石原さんにとっても特別な場所なのだ。

おもちゃの病院では、ドクター同士でテーブルを囲み、世間話をしながら昼食を取る。月に一度のコンビニ飯だが、なぜか特別な味がするから不思議だ。

気がつけば、島根に戻ってもう10年。

「おもちゃの病院があって、本当に助かりましたよ。なかったら、違った生活をしていると思いますね。ひょっとしたら、もう島根にいないかもしれない」

後編では、もう一人のドクターの半生を追いつつ、人生100年時代の晩年を生きるヒントを考える。


【後編】「こんなに長く元気でいるとは」 高齢おもちゃドクターに学ぶ、人生100年時代の歩き方