1934年、日本から移民のためにブラジルで誕生した日本の酒「東麒麟(あずまきりん)」。

ここで酒造りを学ぶ日本の若者がいる。彼は、祖父の代から続く「東麒麟」との深い縁があった。

前編では、1961年に秋田からブラジルに移住したブラジル秋田県人会の会長(現在は顧問)の活動を追った。後編では、一人の若者が多種多様な文化にあふれる国で日本文化と向き合う姿に迫る。

(全2回、#1はこちら)

祖父の“技術”をブラジルで学ぶ

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ブラジル・サンパウロの北西に位置するカンピーナス。この地で、秋田の酒が造られている。

その名は「東麒麟」。86年の歴史を誇るこの酒の原料は、あきたこまちだ。

この工場に秋田から研修に来ているのが、小玉智之(さとし)さん、26歳(取材当時)。小玉さんは技術面で秋田の酒をリードし、「太平山」ブランドを世に送り出してきた小玉醸造株式会社の6代目。

2019年7月。小玉さんの研修は4ヵ月目を迎えていた。

小玉さんのブラジルでの研修は多岐にわたる。酒造り全般はもちろん、ポルトガル語、そしてブラジルの文化まで学ぶ。取材の日は、麹造りをしていた。

「自分が思っていた以上に日本と同じような作り方をしているのだという印象でした。日本と環境が全然違うのに日本と同じような作り方ができているのは、基礎がしっかりしているからだと思うので、祖父が行った技術指導はすごいと感じます」

1934年に日本から来た移民のために生まれた酒「東麒麟」。当時、移民たちは厳しい環境と重労働の中、酒に癒しを求めながら働く人もいた。

彼らが飲んだのは、手軽に買えたブラジルの酒、ピンガ。サトウキビを原料とした蒸留酒だが、度数が高く体を壊す人が多く出た。

「日本からの移民に日本の酒を飲んでもらいたい」と、三菱の創始者・岩崎彌太郎の長男・久彌が経営する、コーヒー栽培をしていた東山農場が「東麒麟」を作り始めた。

しかし、飲むと頭が痛くなることから「アタマきりん」と呼ばれるほどの品質の悪さだった。それは日本に比べて気温の高いブラジルで、醸造中の温度管理が難しかったからだという。

そこで1974年に「東麒麟」は、小玉さんの祖父であり「太平山」4代目の順一郎さんに技術指導を依頼。技師を秋田に派遣して酒の品質から工場の設計まで学ばせた。以来、4人が秋田で研修を行ってきた。

蔵の未来のため…ブラジルへ

小玉さんの実家でもある「太平山」は秋田県潟上市で、1879年に創業した酒蔵。昨今、日本酒の消費の落ち込みによる影響は大きく、海外への販売網の拡大を視野に入れている。

1993年に生まれた小玉さんは、秋田市内の高校を卒業後、東北大学理学部に進学。就職を決める際、「太平山」の社長でもある父・真一郎さんは「自分のやりたいことをやりなさい」と跡継ぎになることは求めなかった。

しかし、小玉さんは自ら希望して蔵を継ぐことを決めた。入社後には、広島にある酒類総合研究所に出向し、9ヵ月間酒造りを学んだ。

「日本は“国酒”として日本酒があるのに、徐々に日本の国内で飲む人が減っているのはちょっと残念なこと。ブラジルで日本酒は、まだまだ市場自体があまり大きくないですが、可能性は日本に比べるとあるのではないかと感じています。なので、ブラジルでどういう日本酒が好まれるのか見つけたいと思います」

酒蔵6代目としては修行の場にもなるブラジル。そして、実家は世界戦略を進めている。小玉さんのブラジル研修は蔵の未来を見据えたものだった。

スタッフのほとんどがブラジル人の「東麒麟」は、カンピーナスにある工場からブラジル全土に出荷されている。

研修中の小玉さんの朝は早く、借りているマンションを出るのは毎朝6時だ。

まだ薄暗い中を歩く小玉さんは「初めは人通りもないので、ちょっと怖かったんですけど、この街自体がそこまで治安が悪いところではないので、安全とは言い難いですが、少し落ち着いて歩けると分かったので、最近は少し気楽になってきました」と笑う。

家から歩いて10分のバス停で、会社が運行しているバスを待つ。市内各所で社員をピックアップしながら、まだ目覚めていない街を走り抜けて工場に向かうのだ。

研修中に大きなチャンスが!

小玉さんには、このブラジルの地に心強い友人がいる。

同じ会社で働く柴垣昌平さんは、「アニメ」という共通の趣味があり、話が合うという。

2歳年上の柴垣さんは、6歳のときに家族で愛知県からブラジルに移住。ブラジルの大学で発酵学を学び、「東麒麟」に入社した。

そんな酒造りの経験がほとんどない小玉さんと柴垣さんの2人に、「吟醸酒プロジェクト」という大きな大きな挑戦が任された。若き2人をリーダーに、吟醸酒を仕込むのだ。

和食の普及に伴い、日本の酒を飲むブラジル人が増えていることから、吟醸酒の品質向上を目指している東麒麟。研修中の小玉さんにこのようなチャンスが与えられることは日本では考えられない。

試行錯誤を繰り返す2人。

小玉さんは「緊張しっぱなしで、何を気にしたらいいのか。基本的な情報もない状態で酒造りをしているので、できるだけいろいろなことに気を使っている。難しいですけど、やっていて楽しいので充実している」と笑顔を見せる。

柴垣さんも「自分の得た経験をこれを機に高めていって、将来につながればいいなと思っています」と話した。

ブラジルでは「サケピリーニャ」と呼ばれる、酒とたっぷりのフルーツで作られるカクテルがブームになっている。これが大ブレークし、「東麒麟」の売り上げも10年で4倍になった。

もっと日本の酒の味わいを楽しんでほしいという思いから「吟醸酒プロジェクト」はスタートした。

原料のあきたこまちにも移民の歴史が

ウルグアイのスーパーに並ぶあきたこまち
ウルグアイのスーパーに並ぶあきたこまち

「東麒麟」の原料はあきたこまち。

これを生産しているのは、隣国のウルグアイのブラジルとの国境の町、ラ・コロニージャだ。

広島に親会社のある「アグリダイヤモンド社」が広大な土地であきたこまちを生産している。

ここにも移民の歴史が関係していた。

1950年代、広島・沼隈町の町長をしていた神原秀夫さんが、自ら送り出した移住者が苦労を重ねていることに心を裂き、彼らのために広大な土地を買ったのがこの会社の始まりだ。

現在は毎年1000ヘクタールの土地であきたこまちが生産されている。

ここで作られているあきたこまちは、ブラジルに住む日系人に一番人気の米で、「値段は少し高いがとてもおいしい」と根強いファンがいる。

このあきたこまちは「弥勒米」と名付けられ、ウルグアイの首都・モンテビデオのスーパーにあるお米売り場には、南米の人たちが主に食べるインディカ米とともに弥勒米こと、あきたこまちが売られている。

自然食品の店頭にも並び、健康に気を使う人にも人気だという。

ブラジル・サンパウロの「JAM」という寿司を中心とした和食が人気の店でも、シャリにはあきたこまちを使っている。

ブラジルの若い人にとって、日本文化は「クール」であり、週に1度は和食を食べるというブラジル人がいるほど。和食、日本の酒、そして、あきたこまち。日本の文化はすっかりブラジルに定着していた。

“おいしい”は、万国共通

ある日、29年間「東麒麟」を作ってきた杜氏の送別パーティーが行われ、その場で小玉さんは秋田から持ってきた「太平山」の新しい酒、純米大吟醸を開けることにした。

米を35%まで削って作った純米大吟醸は、「太平山」の歴史と高度な技術が作り上げた自信作。

みんなでこのお酒を味わうと「香りが素晴らしい」と歓声があがる。東麒麟の社員は、旨みを感じさせる香りから日本の高い技術に改めて驚いていた。

すっかりブラジルに溶け込んだ小玉さんの姿に触れ、「東麒麟」の社長・尾崎英之さんは秋田との深い縁に思いをはせる。

「我々は智之さんの祖父に技術を教えていただいた。それを次の世代につなげていきたい。次の新しい世代、智之さんやうちの会社の若いブラジル人たちに夢や思いを伝えていくことが私の使命だと感じています」

ブラジルでの修行の日々を小玉さんは「楽しい。“おいしい”というのは、万国共通なのだと思いました。できるだけ、自分の技術を高めて、より良いものをブラジル人と一緒に作ることが大事なことだと思う」と話す。

そして、2020年3月、酒造りの面白さと多様な文化を学んだ小玉さんは、秋田に帰ってきた。

左は「太平山」の社長でもある父・真一郎さん
左は「太平山」の社長でもある父・真一郎さん

家族で食卓を囲むのは久しぶりのことだ。

「太平山」の社長でもある父・真一郎さんは「不思議な縁です。太平山流の酒造りの方法を『東麒麟』の中で伝承されてきた、その方法を智之が改めて学ぶというのは。『太平山』の中で学ぶこととはまた違う伝統を勉強してきたのかなという気がします」と語る。

母・英子さんは、少女時代をブラジルで過ごした。そんな英子さんは、ブラジルで研修をしてきた息子の姿に変化を感じていた。

「人見知りということではないですが、積極的に自分から人に話しかけたりするような感じではなかったのですが、社交的になったのか、とても明るくなって、よく喋るようになった。それはきっと、ブラジルの人から教わったんじゃないかと思います」

それを聞いた父・真一郎さんも「ブラジルを去るときにLINEで『いよいよブラジルを離れます。これから搭乗します』と。あれを読むと何だか後ろ髪惹かれる思いで書いているような気がしました。それだけブラジルに愛着を持てた、そんな1年だったのではないか」と子供の成長に笑顔だ。

ブラジルでの挑戦が国際的に認められる

秋田に戻った小玉さんの朝も相変わらず早い。

朝5時半に父親と出勤し、蔵についてまず向かったのは、祖父が建てたみずほ蔵だ。

「やるぞ!という感じです。お酒造りが楽しいというのも、1年で分かったので、今はやる気にあふれています。いろいろな新しいことも挑戦していきたい」

将来、蔵の6代目を継ぐことは決まっているが、「太平山」の社員としてはまだ1年生。そのため分析を担当しながらも、イチから蔵の仕事を学んでいる。

一方で、長く使っていなかった自動温度調節機能がついている「サーマルタンク」を活用して、この秋から新しい酒造りに挑戦してみようと提案した。

父・真一郎さんは「楽しみでもありますが、不安もあります。それでも彼の姿を見ていると楽しみの方が多いかもしれません」と期待を膨らませた。

「ブラジル研修はいろいろな意味で、自分の中の意識を改めさせてくれた。いろいろな価値観を身に付けさせてくれたと思っていて、ブラジルでたった1年の経験だったのに、ここまで自分の考えが変わるのかと驚いていますし、本当に良い経験ができたと思っています」

4月には、ブラジルの「東麒麟」で柴垣さんと力を合わせて作った吟醸酒が、国際的に品質を評価するモンドセレクションで金賞を受賞した。

「ビックリしました」と受賞に驚く小玉さんに、自慢の吟醸酒の味を聞くと「日本の吟醸酒に近いような果実系の香り。酢酸イソアミル、カプロン酸のような香り。ちょっと辛口で、すっきりした後味の残らないような仕上がり」と説明してくれた。

ブラジルで作った味が世界的に認められ、一つ階段をのぼった小玉さん。新たなステージを模索する、秋田の酒文化の担い手として秋田から世界を見つめていく。

【#1】「きりたんぽ」で確かめる自分のルーツ。ブラジルで日本人移民を支える日系1世の活動

(第29回FNSドキュメンタリー大賞『あきたこまち ここにあり』後編)

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