福島県双葉町は、東日本大震災、福島第一原発事故の発生後から全域で避難指示が続いてきた。

2020年3月4日に一部地域の避難指示が解除されたが、そのエリアには未だ住民が住むことはできない。居住開始を目指すのは、2022年の春だ。

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少しずつ「帰還」への道が見えてきた一方で、避難生活を続けてきた町民たちとって、9年という月日が重くのしかかる。

避難指示解除の裏で揺れる2つの家族がいた。後編では、家族全員で双葉町に帰る予定で、町の復興に関わりたいという夢を持つ女性に迫っていく。

(全2回、#1はこちら)

15歳になって行った場所は「帰還困難区域」

双葉町で生まれ育ち、小学3年生のときに被災した澤上美羽さん。

彼女と出会ったのは2014年。当時12歳だった彼女は、いわき市で避難生活を送っていた。

この年、避難指示が続く中、双葉町は別の町で中学校を再開させた。

同級生のほとんどが避難先の中学に進学していたが、美羽さんは親の反対を振り切り、いわき市に新設された双葉中学校へと進む道を選んだ。

美羽さんの母・晶さんは「やっとなじんだ環境のまま、中学に行かせたいという思いがありました。やっぱり、震災前の思い出がすごく楽しかったようで、それが“双葉が大好き”という思いにつながっているみたいです」と振り返る。

15歳になった2016年。15歳にならないと立ち入ることが出来なかった帰還困難区域に、美羽さんは震災後初めて一時立ち入りをした。

帰還困難区域の自宅に一時立ち入りをした美羽さん

自宅はモノが散乱し足の踏み場もなかった。

「テレビで見たときよりも、自分の目で感じるので心にきます」

親子で見ていたのは母親の卒業アルバム。母親は同じ中学校を卒業した大先輩だ。

5年半ぶりに帰った家の中は、野生動物に荒らされていた。変わり果てた家の姿に驚きながらも「昔の景色とは違うけど、ここに来ることで思い出せることもある」と話し、自宅の様子を目に焼き付けた。

帰還困難区域の自宅に一時立ち入りをした美羽さん

この日、美羽さんは、保育園のときの写真を唯一持ち帰った。

記憶とは違う姿になった双葉町。時間が許す限り、思い出の場所を巡り、「入りたいと思っていたので、双葉町に入ることができてうれしく思います」と話した。

双葉町の自宅に帰ってから2ヵ月後に開かれた発表会で美羽さんは、故郷への思いを口にした。

「私は双葉町と関わっていきたいと思っているので、役場職員などになり、復興に関わっていきたい」

「一時帰宅で現状を詳しく知ることができたのですが、それでもやっぱり帰りたい。自分で帰れるようにしたいと思った。私にとってやっぱり故郷だし、帰りたい場所、帰るべき場所だと思います」

避難生活の中で見つけた「帰れるようにしたい」という15歳の目標だ。

「帰りたい」変わらない目標

2019年。双葉中学校を卒業後、いわき市内の高校へと進学した美羽さんは、高校3年生となっていた。

母と祖父母といわき市の家に住んで7年以上が経った。

ふるさとを離れて通った高校ではたくさんの出会いがあったという。

美羽さんは「入学する前におじいちゃんに『高校は良いところに入って、良い友達と出会う場所』と言われた。結果、いろいろな良い人に出会えて、受験でも一緒に頑張れる友達もできた」と笑顔を見せる。

それでも美羽さんの中で双葉町に「戻りたい」という思いは変わっていない。そこには、過ごしてきた思い出が残っているからだ。

一緒に暮らしていた、いとこ家族は県外へと引っ越してしまったが、美羽さんは震災前の双葉町で撮った写真を見つめながら、「特別なことがなくても、写真のように一緒に過ごしていた思い出が大切」とかみしめる。

ただ、家族は心配もしていた。

祖父・榮さんは「生活するには容易ではない。何と言ってもそれが現実だから」と不安を口にする。

だが、美羽さんは「目標」を変わらずに持ち続けている。だからこそ、志望校も“地元”を選んだ。

「中学校のときに福島大学だけで考えていて、地元に貢献できるようなこともしたいと思って、大学では地元に密着したことを学びたいので、志望校は福島大学に決めました」

「双葉の役に立てるように…」

2020年3月には双葉町の一部区域の避難指示が解除され、JR常磐線が9年ぶりに全線で運転再開した。しかし今も住むことは許されず、人のいない街には野生動物の姿が。解除された面積は町の全体の4.7%だけだ。

美羽さんは震災から10年目の春、新しい一歩を歩み出した。家族と離れ、福島大学へと進学する。

祖母・洋子さんは「赤ちゃんのときから一緒にいたから寂しい。近くで通えるところを勧めていたけれど、本人が決めたことなので従います。諦めました」と笑う。

美羽さんは「今は双葉のために役立てるように、いろいろなことを知っていきたい。大学に行っていろいろな人と出会って、いろいろなことを知るのでそこで職業を決めたい」と決意する。

母親から将来の夢を聞かれると「何がいいだろう…双葉で店を開くのもいいかな」と笑う。

大学を卒業する4年後、彼女はどんな道に進んでいるのか。

双葉駅の時計は9年前のあのときから止まったままだ。それでも周辺の避難指示が解除された双葉町の時間は9年ぶりに再び進み出した。

「帰らない」と決めた人。「帰りたい」と思わなくなった人。そして、「町に帰りたい」と願う人。

この場所に住むことはまだまだできないが、それぞれの方法でこの町を思う町民が、これからの双葉町を作っていく。

【#1】「双葉町に帰りたい」震災・原発事故から10年目を迎える父とその家族の選択

(第29回ドキュメンタリー大賞『福島県双葉町 ~10年目のふたば、ふたたび~』)