東日本大震災の発生から今年で15年。当時、津波で大きな被害にあった宮城県女川町と能登半島地震と豪雨による二重の被害を受けた輪島市町野町の交流が続いています。
「こんにちは、失礼します」
10日、輪島市町野町を訪れたのは、宮城県女川町の商工会婦人部メンバー5人。
「まちのラジオ」のメンバーが去年5月、女川町で研修した事から交流が始まりました。
婦人部メンバー:
「片手でコロコロと手のひらで転がして、ポンと入れるんです。」
メンバーが作るのは女川町名物の「女川汁」女川名物・サンマのすり身を使ったすまし汁です。町野の女性たちも調理に加わります。
すると…
町野の女性:
「(豪雨で)水が引いた時に何ともいえない姿でした。涙が出る、今でも…私の目の前に、山から流れてきた水で家が浮いて流れていったのよ。あの姿見たら…電話で『しげちゃん、家流れていったよ』って…」
これまで心の奥にしまっていた言葉があふれます。
女川の女性:
「本当に風化させてもらいたくないという…(私たちも)皆大変だった。でもこれからね、ゆっくりゆっくりアリさんのように、未来に向かって、笑顔で…。多分みんな笑いの中で進歩していったと思うんですよね。」
町野の女性:
「そうですね、私たちもそうしていこうかなと思っています。」
1時間ほどで女川汁は完成。町野の人々にふるまわれました。
住民:
「おいしい」
「嬉しいとしか言いようがないけど、いつまでも有難いなと思う」
女川の女性:
「いろいろお互い話すことで生まれることもあり、(今回の交流が)今後の私たちにもすごく支えになっていくと思うんです。焦らないで、ゆっくり、笑いながら頑張ろうみたいな。」
震災を経験したからこそ分かりあえる思い。復興へ一歩ずつ、女川と町野の交流はこれからも続きます。