なかでも、隠岐諸島にある4つの有人島のうち、中ノ島にある菱浦という集落に彼はすっかり魅了され、8日間も滞在している。
「ヘルンは辺鄙なところ程好きであつたのです。東京よりも松江がよかつたのです。日光よりも隠岐がよかつたのです」
とは、セツの著書『思い出の記』の一節。夫の変人ぶりにすっかり呆れている。
隠岐からの帰りの船上、本土の山並みがしだいにはっきりと見えてきた。その時に「菱浦イイトコ、住ミタイ」とハーンが耳元で囁く。セツはこれをキッパリと拒絶。秘境の島からやっと脱出できたところで「いま、そんなこと言う!?冗談じゃない」といった感じか。
この時にもしもセツが隠岐に住むことを了承していれば、ハーンは本気で島に移住するつもりだった。
この後、ふたりは島根半島の美保関に10日ほど滞在している。この美保関もハーンの大好きな場所で、隠岐がダメならここに住みたいと思っていたようなのだが。
東京は「ジゴク!!」
明治27年(1894)6月にハーンは熊本第五高等学校に辞表を提出し、10月には神戸に引っ越し英字新聞の記者となった。2年後の明治29年(1896)には、東京帝国大学から英語講師就任を要請されて東京へ転居することになった。
この頃の東京は人口160万人を超えて、世界でも有数の巨大都市に発展している。ハーンが日本で一番住みたくない、喧騒渦巻く大都会。だが、セツには憧れの地だった。
