皆が寝静まっていたとき、清正が家中での異変に気が付きます。母の部屋を覗くと強盗に入られ、母へ刀が向けられていました。
清正は何とかできないかと考えます。そこで家の中にあった鬼のお面に気が付き、そのお面を被り、そのまま家の中で一番大きなつづらの箱へと身を忍ばせました。
強盗は、その大きなつづらの箱にきっと加藤家の財産が入っているのだと思い、つづらを持って外へ逃げます。家から遠く離れたところで、鬼のお面を被った清正は刀を持って飛び出し、強盗を驚かせるとともに追い払うことに成功したのでした。
愛知県津島市上河原町ではこのエピソードが今も語り継がれ、この活躍を由来とする「鬼祭り」が行われています。
初陣でのエピソード
清正は九歳の時から豊臣秀吉に仕えます。そして天正3年(1575)、清正が14歳の時、初陣である長篠の戦いに参加し、早速手柄もあげています。
その時に一緒に出撃したのはもちろん何度も戦場を経験した武士です。今の言い方で言うと、何度も営業を経験している職場の先輩といったイメージでしょうか。秀吉に偵察を命じられた二人は夜道を馬にまたがり進みます。真っ暗闇の中、あやしいことはないか、迫ってくる敵はいないかなどを偵察に行っていました。
清正は、「何かが動いた」とつぶやきました。それを聞いたもう一人の武士は次のように言いました。
「そなたは初陣なので緊張しているのだろう。初陣の時にはそうやって、ありもしないもの
が見えるものだ」
しかしその時、突然、敵がその武士の目の前に現れました。不意を突かれ、そのまま相手にやられてしまうかと思った瞬間、横から清正がその敵めがけて攻撃を仕掛けます。そのまま相手を倒し、事なきを得ました。
もし清正が敵の気配を感じていなければ、二人とも殺されていたことは言うまでもありません。清正は初陣から能力の高さを見せつけたのでした。
翌年、十五歳になった清正は、秀吉を烏帽子親(えぼしおや)(親の代わり)として元服しています。この時から秀吉と清正は親子関係になったと言えるわけです。そして秀吉は「清正」へ改名するように命じ、加藤清正という名前を名乗るようになります。
