なぜそれができたかというと、自分の感情や考えを周りに大事にされないから、自分で大事にするしかなかったのだ。少し切ない、不幸中の幸いだ。
それでも、自分の気持ちや考えたことを他者に伝えられるようになるには、つまり相手を信用するのには時間がかかった。それは、他者への警戒が強かったからだろう。
警戒するのは、あくまでもかつてのイヤな人への対策であり、信頼したい人にも同じ対策をして「話したいのに話せない」と引っ込めてしまうと、当然の結果だが、言いたいことが伝わることはない。
相手を信用したいならば、まずはちゃんと聞いてくれるだろう、受け取ってくれるだろうと信じて出すしかない。とても怖いし、勇気がいるが、「話さなくてもわかってほしい」と捻れた期待をしても叶うことはほぼないので、「話したら聞いてくれる」と信用してみる方がまだいい。
誰にでもわかってもらうのは不可能なので、それは諦めて、信用したい人、信頼関係をつくりたい人にだけでも話せるようになりたいと思うようになった。
自分の話をするのが怖いのは相手を信用していないからだとわかったときは、衝撃だった。自分では相手を信用しているつもりなのに、まったく逆の行動をしていたとわかって「だからうまくいかなかったのか……!」と合点がいった。
それからは、信用したい人に話さないのは相手に失礼な行為だと言い聞かせて、捻らずまっすぐに出すよう心がけるようになった。
こちらが正直に出したものを、受け取った相手がどう思うかは相手のもので、こちらが勝手に想像して決めるのは失礼だ。こちらにできることは、相手がどう思うかにかかわらず、ちゃんと出すことだけだと思えるようになった。
自分の話をしたいなら、相手を信用すること。相手を信用するとは、こちらが先に出すこと。自分の話をすることと、人を信用することが、こんなに近く深い関係にあるとは、とてもおもしろいと思いませんか。
桜林直子
洋菓子業界での勤務を経て、2020年にマンツーマン雑談サービスをスタート。著書に『世界は夢組と叶え組でできている』『つまり“生きづらい”ってなんなのさ?』など
