ただし、忘れてはならないのは、その線引きに絶対的な根拠があるわけではないということです。社会の都合で勝手に区切っているだけで、その年齢はあくまで恣意的に決められた目安にすぎません。
これは健康診断の基準値に似ています。血圧が130を超えると「高血圧」とされ、血糖値が少し基準を超えると「境界型」とラベルを貼られます。しかし実際には、基準の範囲内でも体調がすぐれない人もいれば、基準をやや超えていても元気そのもの、という人は少なくありません。
基準値はあくまでも便宜的に区切られた一つの目安にすぎないのに、その区切りがあるせいで「病気」までもがつくられてしまうのです。定年のような「社会的な老い」もそれと同じです。60歳や65 歳で「もう現役ではありません」と線を引かれても、それは社会的な都合によるラベルにすぎないのです。
老いのスピードやあり方は人によってまったく違うのですから、「社会的な老い」を宣告されたとしても、実際には心身ともに現役時代と変わらない活力を保っている人はたくさんいます。
ところが、そのラベルを真に受けて「自分は老いたのだ」と思い込んでしまう人は少なくありません。本来ならまだまだ活動できるはずなのに、自ら「余生モード」に入ってしまえば、生物学的な老いまでも無駄に加速させてしまう危険性すらあります。
一方で、経済的な不安はあまりないのに、「社会的な老い」に抗うことだけを目的として、働き続けることを無理に選んでしまうのも別の意味で危うい選択だと思います。
社会や企業の都合にうまく取り込まれ、必要以上に、しかも不利な条件を受け入れてまで働くことになってしまえば、せっかくの余生を楽しむ余裕が失われかねません。だからこそ「社会的なラベルは単なるラベル」と軽く受け流し、「本当の自分の状態はどうなのか」「自分はこれからどうしたいのか」という視点を持つことが大切なのです。
池田清彦
生物学者。東京教育大学理学部生物学科卒、東京都立大学大学院理学研究科博士課程生物学専攻単位取得満期退学、理学博士。現在、早稲田大学名誉教授、山梨大学名誉教授。高尾599ミュージアムの名誉館長。生物学分野のほか、科学哲学、環境問題、生き方論など、幅広い分野に関する著書がある。著書に『平等バカ』『専門家の大罪』『驚きの「リアル進化論」』(すべて小社刊)、『人間は老いを克服できない』(角川新書)、『「頭がいい」に騙されるな』(宝島社新書)、『老後は上機嫌』(共著:ちくま新書)など多数。
