社会全体の運営を考えれば定年制度が一定の役割を果たしていることは否定できませんし、働けるうちはいつまでも働いたほうがいいと言いたいわけでもありません。ただし、その仕組みが「社会的な老い」を本人の実感よりも早く押しつけてしまう点は看過できないでしょう。
「老いの線引き」は会社の都合
必要以上に早いタイミングで「老い」というラベルを貼られてしまう、という事態に対応するために整備されたのが、再雇用制度や雇用延長制度です。建前としては「高齢者の活躍の場を広げる」ためなのでしょうが、実際はそうではなく、あくまでも政府の財政的な都合です。
年金の財源がじわじわと逼迫(ひっぱく)していく中で、「なるべく長く働いてもらって、なるべく年金を払わずに済ませたい」というのが正直な狙いであるのは見え見えで、平均寿命100歳時代などと煽っているのも、そうした制度設計を正当化するための方便にすぎないと感じます。
年金が思うように支給されないとなれば、働き続けるしかないという部分もあるのでしょうが、給料が大幅に下がることを受け入れてまで、定年後も同じ会社で働くという選択をしたくなるのは、不本意に強いられる「社会的な老い」への抵抗もあるからではないでしょうか。
だとすれば、再雇用制度や雇用延長制度というのは、そのような高齢者の「老いに抗いたい」という心理をうまく悪用することによって成り立っているのかもしれません。
近年は大企業を中心に、実績や専門性を考慮して再雇用後も現役時代と変わらない待遇を認める動きも出ているようです。しかし、本来はそれこそが当然の姿であるはずです。
早々に定年を迎えさせるのは企業側の都合なのですから、その年齢を過ぎたからといって一律に処遇を下げたり、活躍の場を狭めたりするほうがむしろ不自然なのです。
「社会的な老い」は便宜的なラベル
「社会的な老い」というのは、社会のシステムによって一律に強いられるものです。
たとえば「65歳になったら定年です」というルールがあるのに、「自分はまだまだ元気だから定年は80歳にしてくれ」と主張する人が増えたら、社会は混乱してしまうでしょう。ですから、一定の線引きはやはり必要なのです。
