上庄さといもは大野を代表する特産品として広く知られていますが、その始まりは、
今から70年ほど前にさかのぼります。
福井テレビには、昭和50年代の上庄地区でのサトイモ収穫の映像が残っています。
VTRでは「この地区は、土壌が火山灰で非常に水はけが良く、サトイモ作りにはもってこいで、煮込んでも形が崩れない良質のサトイモが採れるそうです」と説明しています。
大野市内でサトイモの生産が盛んになったのは昭和30年頃で、昭和50年頃でも鍬で一株ずつ掘り起こす根気のいる作業でした。現在はトラクターを使うなど機械化が進んでいますが、イモをばらす作業は今も手作業で行われています。
当初は「大野いも」として売り出され、その後、奥越全域で生産されるようになりました。「上庄さといも」としてブランド化されたのは今から40年ほど前でした。
昭和50年代の説明にもあったように、上庄地区は火山灰が混じった水はけの良い土壌なのに加え、真名川などの流れで運ばれてきた肥料分も含まれていて、サトイモの生育に合っているということです。