そして翌明治15年に上野の博物館が完成、同年3月20日、明治天皇臨席のもと盛大に開館式が執行された。式が終わったあとすぐに博物館と動物園が一般公開された。9月には図書館も移設された。初代館長には町田久成が就任した。

同志が突然僧侶に…

ところが10月、館長になって1年も経たないうちに町田は突然辞職して政府を去った。しかも、驚くべきことに翌年、奈良の東大寺で受戒をうけて僧侶になったのだ。

なぜに急に仏門に入ったのかよくわからないが、田中芳男は長年の同志の行動をどう思ったのだろう。もともと町田は人びとから「一奇人」と呼ばれ、気に入った古い琴を持ち主の芸妓に譲ってほしいと言ったところ、彼女が拒否したので芸妓ごと身請けし、琴だけ手に入れたという逸話が残っているほどだ。

いずれにせよ、町田久成のあと芳男が館長を引き継ぎ、博物館の運営にあたった。

日本で初めての水族館は上野動物園に付設された(画像:イメージ)
日本で初めての水族館は上野動物園に付設された(画像:イメージ)

日本で初めての水族館も芳男の業績だった。上野動物園に付設された観魚室(うをのぞき)がそれだ。動物園が開園してから半年後の明治15年(1882)9月20日から一般公開がはじまった。

当初は、コイやイシガメ、オオサンショウウオなど淡水生物が飼育されていたが、すぐに海水魚も展示されるようになった。当時の記録によれば、観魚室は煉瓦造りの建物内に土製の水槽を設置し、屋内を暗くしてガラス窓から魚が泳ぐ様子を楽しむ仕組みだったとある。

夢を実現させた芳男は

町田と二人三脚で若い頃からの夢だった巨大な博物館の建設を実現させた芳男だったが、館長就任から7カ月後、辞職して農商務省からも去った。46歳のときのことだ。