よくよく胸に手を当ててみれば、ハマンの姿は決して単なる「嫌な他人」ではなく、むしろ「自分自身の姿」、少なくとも「自分自身の一部」ではあるからです。

あなたにもそんな感情がある?

敵対する人を陥れようとした罠(わな)に、結果的には自分がハマってしまうということは、現代社会でもときどき見ることです。

相手を失脚させるために講じた策によって、むしろ自分が失脚してしまう、そんなことは新聞やテレビで政治のニュースを見ればちょくちょく見かけることですし、もっと身近な自分の周りでも起こることです。

自分の権威を認めてくれない。自分の立場を危うくする。そんな人と相対したとき、どれだけの人がハマンのような意地悪な心を起こさずにいられるでしょうか。

もちろん「相手を殺してしまえ」とか「その一族まで殺してしまえ」なんて思うことは稀(まれ)かもしれません。しかし「ちょっとこらしめてやろう」とか、そんなことなら思ってしまうかもしれません。

そんな思いを抱いてしまうとき、僕たちもまたハマンと同じなんです。そしてそんなとき、僕たちはすでにハマンと同じ「ペコペコされないと気が済まない人」になっているんです。

『聖書のなかの残念な人たち』(笠間書院)

MARO(上馬キリスト教会ツイッター部)
キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。約11万人のフォロワーを持つXアカウント「上馬キリスト教会」(@kamiumach)の運営を行う「まじめ担当」と「ふざけ担当」のまじめの方でもある。クリスチャン向けウェブサイト「クリスチャンプレス」ディレクター

MARO
MARO

上馬キリスト教会ツイッター部。1979年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学Contemporary Writing and Production卒。キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。約11万人のフォロワーを持つXアカウント「上馬キリスト教会」の運営を行う「まじめ担当」と「ふざけ担当」のまじめの方でもある。クリスチャン向けウェブサイト「クリスチャンプレス」ディレクター。著書に『上馬キリスト教会ツイッター部のキリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『人生に悩んだから「聖書」に相談してみた』(KADOKAWA)、『聖書を読んだら哲学がわかった キリスト教で解きあかす「西洋哲学」超入門』(日本実業出版社)、『人生を深めるおとな聖書 教養とはこういうものだ。』(ポプラ社)、『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(だいわ文庫)、『上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。