赤レンガが特徴的な東京駅。
設計した辰野金吾は、明治時代にお雇い外国人の建築家ジョサイア・コンドルから教えを受けた。コンドルが設計した建築は手本となり、辰野や上野の東京国立博物館 表慶館を設計した片山東熊らが誕生する。
こうして明治時代に欧米から学んだ建築技術の集大成が、1914(大正3)年に完成した、赤レンガの東京駅(東京都千代田区)であり、その指揮を取った辰野は、明治建築の象徴だという。
日本の近代建築がなにを目指し、現代へと受け継がれてきたのか。携わってきたさまざまな人々のドラマを紡いだ、小川格さんの著書『思考の近代建築 明治・大正・昭和 人と建築の物語』(新潮新書)から、一部抜粋・再編集して紹介する。
明治の近代建築の横綱
明治時代の近代建築といえば、誰でも思い浮かべるのが赤レンガの建築だろう。
その代表が東京駅であることには、誰も異論はないと思う。しかも丸の内のビジネス街で働く多くの人々が今も毎日利用しているのもすごいことで、まさに明治の近代建築の横綱である。
丸の内には、明治27(1894)年に完成した三菱一号館に続いて明治、大正と次々に赤レンガのビルが完成し、びっしりとレンガ造のビルが続くビジネス街は、一丁ロンドンといわれていた。

そのはずれに東京駅が建てられたのは大正3年。それ以降、東京駅を中心に丸の内のビジネス街が飛躍的に発展する。
赤レンガの丸の内は大正、昭和の戦前・戦後を生き抜き、1960年代、東京オリンピックの頃にレンガ街のビルが建て替えのため一斉に取り壊されるまで続いていた。