東京・上野にある代表的な建築の一つが、東京国立博物館 表慶館(東京都台東区)。

1909(明治42)年に開館した表慶館の設計は、東宮御所や現在の迎賓館赤坂離宮などを代表作とする片山東熊(とうくま)だ。

建築専門の編集事務所「南風舎」の顧問をつとめる、小川格さんの著書『至高の近代建築 明治・大正・昭和 人と建物の物語』(新潮新書)では、近代建築の中でも特に明治・大正・昭和前期の建築を中心に、そこにまつわるドラマを取り上げている。

まずは、片山東熊設計の東京国立博物館 表慶館から一部抜粋・再編集して紹介する。

欧米に見下されないために

明治政府が欧米を見本にした建築を建てようと決意したのは、不平等条約の改正など、切実な問題を抱えており、欧米に見下されたくないと考えたからだが、そのためには彼らに劣らない建築や都市を造ることが重要だと考えた。

まずは、外国人建築家を呼んで必要な建築を次々に建てたが、本格的に建築を建ててゆくには日本人の建築家が必要なことに気がついた。建築家を育てるための教師を招くべく、手を尽くして探し出したのが、若いイギリス人建築家ジョサイア・コンドル(1852~1920)だった。

コンドルは、ロンドンで実務の経験を積みながら大学を出て、若手の建築家に与えられるソーン賞という有名な賞を受賞している有能な若手建築家だった。日本政府の招きを受け入れて、明治10年24歳の若さで日本にやってきた。

給料もよかったが、何よりも彼自身、日本に強い興味を持っていたからだった。

コンドル、最初の4人の学生

そんなコンドルが、出来たばかりの工部大学校(設立時は工部省工学寮、現・東京大学工学部)の教師に就任した時、その造家学科の最初の学生が、辰野金吾、曾禰(そね)達蔵、片山東熊(とうくま)、佐立七次郎の4人だった。