寮の後輩に銃を見られる
泊まり込み生活で、朝起きてきたXにはルーティンがあった。藁半紙に「思い出したこと」と題して箇条書きに何かを書くことである。
ある朝、Xが以下の様に書いてきたので石室は度肝を抜かれた。
①井上から拳銃を預かる
②寮で拳銃の空撃ちをしているところを、突然部屋に入ってきた同僚の木下(仮名)に見られる
③先輩、本物じゃないですか?
④『モデルガンだよ』と答えた
石室は「事件直前にあったことか?」と尋ねた。

Xは「はい。夜中にじっと当時のことを考えていると頭の中に浮かんできて思い出したので書きました」という。
「預かった拳銃を寮の部屋で空撃ちしていたら、後輩の木下くん(仮名)が急に部屋に入って来て見られたんです。
僕は腕組みをするような格好をして銃を隠しました。木下くんは『先輩、その拳銃はどうしたんですか?』と聞いてきたので、少し誤魔化したんですが、木下くんは『見せてください』の一点張りで、仕方なく拳銃を渡したんです。
すると木下くんは拳銃を見ながら『これは本物の拳銃じゃないですか。撃針が出てますよ』と突っ込んでくるので、私はモデルガンを改造したもので、知り合いからの預かり物だと答え、誤魔化しました」
非常に興味深い話であったが、この話についての裏付け捜査もずっと後になってやることになった。
目撃証言から浮かぶ支援者
Xの取り調べはごく限られた捜査員だけが秘密裏に従事していたが、その裏ではXの存在を知らない他の捜査員が、重要な目撃証言について詰めの捜査を行っていた。事件発生から月日を置いて話にブレがないか、また新たに思い出したことがないか確認するためである。
発生当日、銃撃実行犯を目撃したアクロシティBポートの住人、篠田光子(※仮名 第5話-4参照)にも1996年10月、数回目となる聴き取りが行われた。篠田は発生当初「黒っぽい服装の人が拳銃を持った男の方にEポート北側の方から近寄ってきましたが、すぐにUターンして走っていった様な気がします」と証言し、銃撃直前から銃撃そのものを目撃した唯一の住人である。

事件から1年半経過していたが聴き取りにきた特捜本部の八田警部補らに篠田は銃撃があった時の詳細を再度次のように証言した。
「男がFポートのピロティのところに、すごいスピードで走ってきた時、その男がいるにも関わらずFポートの南東角にいた銃撃犯が拳銃を撃ったんです。
すると走ってきた男はその場で立ち止まることなく急にE棟の影に戻って行きました。
男は私の方に顔を向けるようにして走ってきて、再び戻ったと記憶していますので左回りでUターンしたと思います。またその男は何かを探しているようであり、その男がいるのに犯人が拳銃を撃ったので、私は犯人の仲間ではないかと思いました。
走り出てきた男の顔や服装はわかりませんでしたが、真っ黒い印象の服装の人で、所持品はなかったと記憶しています。犯人が拳銃を撃っている最中に別の男が現れたのは間違いありません」

銃撃が行われている横でうごめいていた男は犯人の仲間に見えたという。
この証言はあまり知られていないが、発生からしばらく経ってからも篠田はこの証言を変えなかったことから、信憑性の高い話だった。実行犯の近くに支援者がいた可能性があったのだ。

発生当初から篠田証言は実際に部屋のベランダからどの様に見えたのか入念に検証されている。
捜査員が拳銃を構えた時に篠田が「実際に見たものと違う」と訴えたこともあった。捜査員が拳銃を構えた手の素肌が見えたことが違うと指摘する。
篠田が見た実行犯は伸びている手の先まで黒っぽかったという。この証言により銃撃犯は黒い手袋をしていた可能性が高いとなった。篠田は犯人の銃撃シーンを鋭く活写し脳裏に刻んでいたのだ。
【秘録】警察庁長官銃撃事件25に続く
【執筆:フジテレビ解説委員 上法玄】
1995年3月一連のオウム事件の渦中で起きた警察庁長官銃撃事件は、実行犯が分からないまま2010年に時効を迎えた。
警視庁はその際異例の記者会見を行い「犯行はオウム真理教の信者による組織的なテロリズムである」との所見を示し、これに対しオウムの後継団体は名誉毀損で訴訟を起こした。
東京地裁は警視庁の発表について「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として原告勝訴の判決を下した。
最終的に2014年最高裁で東京都から団体への100万円の支払いを命じる判決が確定している。