マラソン選手、前田穂南27歳。
2023年4月1日。
実業団の陸上部の報告会で前田は、マラソンランナーとしての目標をこう口にしていた。
「MGCに向けて連覇を目指して、パリに繋がる走りができたらいいなと思います。応援よろしくお願いします」
パリオリンピックへの思いを多くの関係者の前で語った。
運命を変えた東京五輪選考レース・MGC
始まりは2019年6月。
取材スタッフがカメラを向けたのは当時22歳の前田穂南。
前田は岡山に本社を置くデパート、天満屋が勤務先だ。伝票管理の仕事をしながら練習に励む。そんな生活を送っていた。高校時代、駅伝はずっと補欠。無名の選手。
しかし、職場の取材から3カ月後、運命は変わる。
この年の9月に行われたMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)・東京オリンピック代表選考レースで、独走の優勝。シンデレラ誕生の瞬間だった。
前田にとっての五輪とは、「そこで輝くこと」を目指して、ずっと追いかけて来た夢。
オリンピック出場を決めたレース後の記者会見では、こんな心の内を明かした。
「諦めなければ夢はかなうのかなって思いました」
東京五輪延期で狂ったすべての歯車
ところが東京オリンピック代表になってから半年後。東京オリンピックの開催延期が囁かれ始めた。
そして、2020年3月22日。
鹿児島県徳之島で合宿中の前田に取材ディレクターが質問した。
ディレクター:
早く決めて欲しいですよね。五輪の時期とか」
前田:
え?もう決まっているじゃないですか。どういうことですか?
しかし、その2日後のこと。
徳之島の合宿先で、東京オリンピック延期の発表がされる。所属チームの武富豊監督が選手を集めた場で語り始めた。
「東京オリンピックが、1年程度延期になるということで昨日正式に発表があった」
認めるのが怖かった延期が現実に。2020年8月に向けてもうやり直せないくらい、綿密に準備を重ねていた矢先のことだった。
1年という道のりがどれだけ長いか。シンデレラの努力という魔法はそこで暗転する。コロナ禍で思うように練習ができない中、オリンピック代表の重圧を背負い続ける毎日。
さらに、2021年。
ようやく迎えた本番直前には左脚を痛める。
前田は、東京オリンピック本番の12日前、胸の内をこう話していた。
「とりあえず足治れと思いながら日々過ごしていました。全然治らんと思って。もう怖かったですもん、1日1日が」
努力の代償で抱えたケガ。その不安を残したまま東京オリンピックを迎える。結果は、2時間35分28秒。33位。輝けなかった。
「東京オリンピックで私は終わっていたんですよ。本当は東京オリンピックで終わっていたんです」
シンデレラが挑んだ夢の続き
東京オリンピックの後は、右足のかかとを疲労骨折していることが判明。引退も頭によぎったという。
「なりたいものないんですよね。どうなるんだろうと思います。でもなんか別に監督とかそういうのはなりたくないんで、教えるとか嫌なんで。ふふ。面倒くさいなあって思います。でも違うことしたいって出てこないです」
走ることが趣味で走ることが生き甲斐。なのに、2022年の北海道マラソンは新型コロナウイルスに感染で欠場、2023年の大阪国際女子マラソンは左踝(くるぶし)横の痛みで欠場など、満足に走れない日々を送っていた。
レース欠場のそれがどれだけ苦しかったか。本人いわく『やみモード』。闇の中で病んでいたのだ、という。
それでも、目指すと決めたパリ五輪。夢の続きに挑む。足の痛みが繰り返す中でも選んだ道は、自分を貫くこと。高校時代からずっと同じ。夢を信じて、走り込んで。それが自分の道。
「この3年すごい人生、大事と思いました。いつ死ぬかわからないから1日1日大切に生きようと思いました。楽しいことをして。いや本当にいつ死ぬかわからないし、世界がいつ滅びるかわからないと思いました。だからその滅びる前に、今したいことをしておかないと、という感じです。まず走って、走って、まずは走ることです」
パリ五輪選考レース MGCへ
2023年3月12日。
闇の中についに光が射す。東京オリンピック以来のフルマラソン、名古屋ウィメンズマラソンに出場し、自己ベストを更新(2時間22分32秒)。10月に行われるパリオリンピック選考レース・MGCの出場権をつかむ。
8月。
パリオリンピック選考レース・MGCまで2カ月と迫ったこの日は、神戸へ足の治療に向かった。
心配していた痛みはなかった。問題は2カ月後のMGC、パリオリンピックの代表選考会まで大丈夫かどうか。
9月。
この日の練習でも痛みは出なかった。準備は順調に進んでいる。
前田:
40km走、この前、速く走れました。自己ベストです。
ディレクター:
MGCまであと1カ月ですけどどうですか?
前田:
天気を願います、天候を願います。
ディレクター:
雨は嫌ですか?
前田:
雨いやって言ったんですか。なんでそういうなんかネガティブなことを発言するんですか。
2023年10月15日。
MGC・パリオリンピック選考レース。
迎えたレース当日は雨。震える寒さ。それは前田が一番恐れていた天候だった。体脂肪が少ない身体は冷えると筋肉がこわばり、脚が動かなくなるからだ。
結果は7位に終わり、パリへの切符を手にできなかった。
パリへの切符はあと1枚
あのまま終わるなんて自分を許せなかった。前田はカメラの前でこう決意。
ディレクター:
この悔しさをぶつける舞台、そこに関してはどうですか?
前田:
チャレンジします。
パリオリンピックへの切符はあと1枚。
前田穂南は、大阪国際女子マラソンへ挑む。
そして12月、胸の内を話してくれた。
前田:
大阪国際のことは考えてないですよ。アレのことしか考えてないです。
ディレクター:
アレってなんですか?
前田:
アレはアレです。
ディレクター:
アレはパリ?
前田:
アレはアレです。
ディレクター:
オリンピック?
前田:
アレはアレです。
ディレクター:
アレは大阪国際で叶えられるものなんですか?
前田:
わからないです。アレはアレです。秘密です。もう秘密です、以上。はい。
前田穂南は、この日、「アレ」としか目標を明かさなかった。
「アレ」の答えとは…
2024年1月28日。
迎えた大阪国際女子マラソン。
レース中盤の21km過ぎに飛び出した前田は、日本人トップの2時間18分59秒でゴール。
実に19年間も破られなかった日本記録(2005年ベルリンマラソンで野口みずきが2時間19分12秒を記録)を更新し、パリオリンピックへ望みをつないだ。
そして笑顔を取り戻したシンデレラから、ようやく「アレ」の答えが明かされた。
インタビュアー:
目標は「アレ」とおっしゃっていましたが、達成できましたか?
前田:
はい。「アレ」は「日本記録更新」のことです。
日本人女子ランナーで初めて超えた2時間19分の壁。
来月に開催される名古屋ウィメンズマラソンがパリオリンピック最後の選考レース。
自身がたたき出した日本記録を超えるランナーが現れなければ、前田穂南はパリへ最後の切符を手にできる。
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2月3日(土)24時35分
2月4日(日)23時15分
フジテレビ系列で放送
3日の放送では、プロ野球・オリックス西川龍馬を特集。 広島カープでは巧みなバットコントロールで、絶大な人気を誇っていた男が下した大きな決断。30歳の西川があえて選んだ「いばら道」に迫る。