棚田を見ると、人々は「美しい」と感じる。

もしかしたら、ここで苦労してお米を作っている人がいることを無意識に感じ、心が動かされ、尊いと思うからかもしれない。

しかしこの棚田を支える人たちは、日本の原風景だから守っているわけではない。

高齢化、そして後継者問題に揺れる棚田を支える老夫婦の生活から、その答えを紐解いた。

棚田を守るための厳しい現実

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“棚田のじいちゃん”とみんなから呼ばれる上岡満栄さん、76歳(取材時)と、妻の淳恵さん、75歳(取材時)。50年以上休まず、この地でお米を作り続けてきた。

愛媛県内子町御祓(みそぎ)地区にある「泉谷の棚田」は先祖から受け継いだ場所。満栄さんの祖父たちが切り開き、父親たちが拡げたもので、子どもが一人できると田んぼを一枚増やしていったという。

1999年に「日本の棚田百選」にも選ばれたこの美しい風景。

当時55歳、地元では一番若手だった満栄さんが中心となり、「泉谷地区棚田を守る会」を結成。棚田のオーナー制度や地元小学校の体験学習など、棚田を都市部との交流の場として育ててきた。

しかし現在、95枚ある田んぼを守る農家は3軒。高齢化が進む中、後継者はいない。

2018年11月、満栄さんは棚田に耕運機を下ろす作業中、水路に転落し頭蓋骨を骨折する重傷を負った。ドクターヘリで緊急搬送され、奇跡的に一命をとりとめたが、5ヵ月に及ぶ入院治療を受けた。

満栄さんのケガから時を置かず、淳恵さんも看病の疲れから車ごと道路から棚田に転落し、背骨を折る大ケガをした。

満栄さんの姉・土居ナミ子さん、89歳(取材時)も足が悪く、田んぼに出られる日は少なくなっている。

満栄さんは9人きょうだいの三男として生まれ、20歳で淳恵さんと結婚し、一男一女をもうけたが、長男の幸栄さんは脳性まひのため、棚田の後継ぎはいない。

それがこの美しい棚田の厳しい現実だった。

ケガの影響で思うように体も動かず

2019年3月、満栄さんが退院する。

病院から自宅へと戻る際に棚田の風景を見つめながら、満栄さんはケガを負ったこの棚田に助けられたと話す。

「(転落した水路の)水がきれいで、頭が水につかっていても体が冷えて血も出ない。水もきれいなので感染症がなかったのが幸い。無事によくなった。いつも米を作っている水が助けてくれたというか、もう少し仕事をしないといけないぞと助けてもらったんじゃないだろうかと」

4月、御祓地区伝統のお祭り「春神楽」が行われ、1年の無病息災を願った。

この頃、満栄さんが退院してから約1ヵ月経ち、田んぼに出始めた。ケガの原因ともなった耕運機を、細い通路を伝って田んぼにおろしていく。

「退院して1ヵ月過ぎたからな、しゃんとしてこなくちゃいけないのに、なにぶんにもいけん、体がだるくてな」

5月には毎年恒例となる地元の小学生たちが田植えにやってきた。

楽しそうに子どもたちが田植えをする姿に、これまでは口癖のように笑顔で言っていた「かまん、かまん(構わない、構わない)」という言葉が出てこない。今年は子どもたちにきつく当たってしまった。

優しかった“じいちゃん”は、ケガの影響で思うように体が動かず、イライラすることも増えていったようだ。

子どもたちを見送る満栄さんと淳恵さん

「じいちゃん、気難しくなった。思うように体が動かんからはがゆい…」

そんな風に夫を気遣う淳恵さんの背骨にも、事故の後ボルトが8本入ったままだ。

2人が田植えを終えたのは、いつもより1ヵ月遅い、6月末だった。

棚田は人を含めた“財産”

2019年8月。2人で電車に乗るのは初めてだという満栄さん夫妻は、棚田学会から表彰されることになり、式典に出席するため東京大学へと向かっていた。オーナー制度や小学生の田植えなど、棚田を交流の場として育ててきたことが評価されたのだ。

壇上で満栄さんは「私も75歳を過ぎて年を取って引退せにゃいけないと思うようなときに賞を頂いて、これから困ったなぁ」と複雑な心境を正直に明かす。

満栄さんに賞を授与した棚田学会理事の山岡和純さんは、「棚田には力がある。ポツンとそこにあっても、誰も突き動かされないが、汗水注いで耕す人がいる。棚田が持っている力は、耕している人がいて初めて生み出されるもの。その方がもしそこを離れたり、やめてしまったら、一気にその力がなくなる。そういう財産なんです。ただ単に棚田という造形物が財産ではなく、人も含めた財産」だと力説した。

2019年9月には、棚田学会での受賞と「棚田を守る会」20周年の祝賀会が開かれた。御祓地区の住人たちは満栄さんたちのことを誇りに感じていたが、その満栄さんは浮かない顔をしていた。

20年間会長の職責を担ってきた満栄さんは、祝賀会の場で「後継者に任せたい」「会長が変わっても今まで同様よろしくお願いします」と後進に道を譲る姿勢を見せ始めていた。

ケガをしたことで満栄さんは、棚田の作業が「怖くなった」という。勾配のある棚田での作業がツラくなってきた。もう一度ケガをするのが怖く、人に会うことも負担に感じるようになっていた。

そんな満栄さんが次の会長を任せようと考えているのが、甥の土居清春さん、69歳(取材時)。しかし、棚田から40キロ離れた八幡浜市に住んでいるため、なかなか通うことができない。

土居さんも「ちょっと無理やね。ずっと住んどればいいけど、週1回帰るか帰らんかでは難しい。引退するようなことを言っていたけど、あの人がやめたら棚田は続けていけん」と厳しい顔をした。

9月に行われた棚田オーナーの稲刈り。大勢の人が訪れ、自分の区画で出来上がった米の収穫を楽しんでいる。

しかしオーナー制度を始めた満栄さんの表情は険しい。

「後継ぎでもいて、後をやってくれるのなら話は違うが、後継ぎもいないし、棚田に来てやってみようかという人もいないし…。人が来るのがいけんなりだした。そんな事は思いもよらなかったが、ケガして長い間入院して考えたけん、ちょっと考えが変わったのかな」

家族の思いとじいちゃんの決意

満栄さんがケガをしてから約1年が経った2019年11月。

“じいちゃん”の家には3人のひ孫たちも集まった。毎年行う小学生の田植えに、まもなくひ孫たちも参加することになる。

家族団らんで懐かしい話で盛り上がる中、話は棚田の未来と“じいちゃん”たちに及んだ。

「棚田残す言うたって、堪わんのじゃけん。オーナー制なんかはやめていこうと思いよるのよ。やったって1年か…」

満栄さんの孫・宮脇あゆみさんは「『ばあちゃんが普通のばあちゃんに戻ります』と言っとったけど、それでいい。もう頑張りすぎたよ、もう十分やったよ」と2人をねぎらうと、淳恵さんはそれでも「(ひ孫の)蒼空が小学4年生になるまでやりたい」と口にする。

孫たちにとっては「自慢のじいちゃん」。

だからこそ、小学生の頃たまに「自分のじいちゃんとばあちゃんなのに、みんなのじいちゃんとばあちゃんになってやきもちもした」と振り返る。

家族もみんな、じいちゃんとばあちゃんを心配していた。

満栄さんたちの葛藤の末、2020年に「棚田を守る会」は解散することになった。

これからは自分たちで「家族の棚田」を守っていく。

じいちゃんたちが守り続けてきた泉谷の棚田。小さくて不揃いな田んぼの一枚、一枚が家族の生きてきた証だ。

日本の田舎は、あるときは“限界集落”や“消滅可能性都市”などと呼ばれ、あるときは“憧れのスローライフ”や“定年後の楽園”などと言われる。そのほとんどが、美味しいところだけつまみ食いするように作り出された「日本の原風景」のイメージだ。

しかし、そこで生まれ育った人たちから見れば、日本の原風景だから守っているのではなく、自分の生まれ故郷を守りたい、ただそれだけだ。

“棚田のじいちゃん”が20年かけて、棚田オーナーや地元の小学生の心に伝えたものは、「自分の故郷は自分たちの手で守る」という故郷を思う心なのだ。 

(第29回FNSドキュメンタリー大賞『じいちゃんの棚田はいま…~百選の里の20年~』)