長崎県の五島列島最北端に浮かぶ、人口わずか2000人ほどの宇久島。
島唯一の高校、宇久高校のサッカー部の部員はたったの8人。
公式戦出場条件ぎりぎりだ。

「11人対11人で勝つのって当たり前。宇久島の代表として出て勝ちたいという気持ちがあって…」 

骨折しながら痛みをおしての強行出場、3年生の引退で足りなくなる部員、数々のピンチを乗り越えた矢先でのコロナ、2020年6月に事実上の廃部となったサッカー部の汗と涙の日々を追った。
 

8人のサッカー部と明るくはない島の未来

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佐世保市の本土から約60キロ離れた五島列島最北端の宇久島。

唯一の高校である宇久高校の全校生徒数は、22人(2020年4月時点)だ。

男子の部活動はサッカーと陸上の2つしかなく、8人しかいないサッカー部は、ほとんどが島で生まれ育った幼なじみだ。

小さい頃はもっと多くの仲間がいたが、親の転勤や高校進学を機に島を離れた友も多く、残ったのがこの8人だった。

2019年4月、待望の新入生4人が宇久高校に入ると、唯一の男子・上村盛将君の争奪戦が始まった。

しかし上村君は陸上部志望。勧誘に熱を入れる彼らだが、そもそも勧誘など必要のない時代もあった。

宇久高校サッカー部は、1993年に誕生。一時は部員が30人を超え、高校生アスリートの祭典、長崎県高校総合体育大会でベスト8に進んだこともあった。

しかし部員は減り続け、ついに5年前から11人に満たない人数で大会に出場するようになった。

古くから良い漁場に恵まれ、素潜りによるアワビ漁と捕鯨文化で栄えた宇久島は、1万人以上の島民がいた。

多い時で140人を超える生徒がいた宇久高校は、部活動も盛んで、中でも軟式野球は全国大会で準優勝したこともあった。

しかし島の高齢化と人口減少の影響で、部活動は1つずつ姿を消し、今では島民の数も約2000人にまで減っている。

部活の帰り道、進路について尋ねると、「ずっとここにいるっていうのは無理だとおもいます」「結局仕事がなかったら生きていけないから…。仕事があったらみんな残ると言ってる」と話すように、島での未来は明るくない。

副キャプテンの中村紘輔君は高校卒業後、福岡に行き美容師の道を目指しているという。

「母親が美容師をしていて、小さい時からその姿を見てきたので」と話すが、島に帰ってくる気は無いと苦笑いする。

この島では最年少の漁師の50歳の父・義孝さんは「後継者は難しい。本人のやる気と情が伴わないとね。息子には好きな仕事をさせたい」と本音を明かした。
 

8人のサッカー部での最後の試合

「気合を入れるため」と全員で坊主頭になり、島の人達が船着き場で見送る中、県高総体へ出発した宇久高校サッカー部。

8人は練習や大会のたびにフェリーに乗り、本土の入り口佐世保港に移動している。

2019年6月1日、県高総体初戦。

試合前日まで「1点くらい先に取れば相手も焦るので、焦らせるのが一番重要かな」と攻撃的に戦うか、「点を決められないことが一番重要で、しっかり守りきりたい」と守備的に戦うかで、チームは揉めていた。

一回戦の対口之津海上技術学校戦で、攻めるサッカーを選んだものの何度も跳ね返され、0-6で迎えたハーフタイム、左足を痛そうに抱え悔しさから涙を流していたのは、2年生の永松陸人君だ。

後にわかったことだが、陸人君の左足は骨折していた。

痛みを押してまで出場した後半、その陸人君からのパスで、宇久高校はこの年初めての1点を決めた。

しかし結果は1−10で敗退。

号泣するメンバーの中、キャプテンの平田君と副キャプテンの中村君は「何の不自由もなくサッカーをさせてくれた両親に本当に感謝している」「最高のサッカー人生になったと思います。みんなが頑張ってくれたので」と自らのサッカー人生に区切りをつけていた。

「おつかれ、ありがとう」

バトンは次の代に託された。
 

事実上の廃部を知りながら…

2019年7月、3年生2人が引退したサッカー部は、6人になった。

公式戦への出場条件は部員7人以上。

次の大会に出られるか分からない中で練習を続けていた。

新キャプテンの泊皇君は「さらに人数が少なくなったら練習のメニューとかも限られてくるので。きついですねキャプテン。チームがまとまらないです」と嘆く。

宇久高校サッカー部に救世主が現れたのは9月だった。

この年の4月に陸上部に入った1年生の上村君がサッカー部に入部する意思を固めていたのだ。

「高総体が終わるまでは協力しようかなと。小学生の時にこの先輩たちと一緒にサッカーをしていて、僕も協力したい、勝たせたいなって思いました」

部員が7人となり、大会に出場ができることになったサッカー部。

2019年春から顧問になった宮崎仁史先生は、ある提案を部員に投げかけていた。

「できれば11人で試合をさせてあげたい。もし合同でいいという学校があれば」と考えていたのだ。

7人だけで戦うか、他校との合同チームとして11人で挑むか。
部内の意見は真っ二つに割れてしまった。

「合併したほうがいいと思います。宇久高だけでやると、陸人君が無理してしまうので」「やっぱり11人でやりたい気持ちもあるので」と考える賛成派と、「先輩たちも人数が足りない状態で頑張ってきたのに、俺らだけ借りてやるのも宇久高らしくないな」「やっぱり自分たちだけでやって勝ちたい」と話す反対派。

反対派の1人、坪内景虎君がこの7人にこだわるのには理由がある。

「俺らが3年になって引退したらサッカー部なくなるけん」

2020年6月に行われる次の高総体で2年生の6人は引退し、1年生の盛将君は陸上部に戻る。

もちろん2020年度に多くの新入生が入る見込みはなく、サッカー部は高総体を最後に事実上の廃部となるのだ。

7人は自分たちが宇久高校サッカー部の最後の代だと知っているからこそ、11人への憧れと、宇久の7人へのこだわり、その両方で揺れていた。

結論が出たのは11月 。

「結果的にはこの7人で出ます、もう確定事項です」

宮崎先生は複数の高校にあたったが、折り合いがつかなかったと明かした。

キャプテンの泊君に人数が足りない中でも頑張れる原動力を尋ねると、「感謝の気持ちが表せると思って」と笑顔を見せる。

「11人対11人で勝つのって当たり前っていう感じはあるので、宇久島の代表として出て勝ちたいなという気持ちがあって…。7人でも頑張ろうかなと思ってます」

2019年12月、7人になって初めての公式大会は、皆緊張でガチガチになってしまった。

攻められたらみんなで守り、積極的に攻め、何度も惜しい場面があった。

結果は0-6の敗退だが、「ミスは多かったけど学ぶことも多かった」「今までやってきて一番楽しかったです」と全員が満面の笑みを見せていた。
 

無くなってしまった県総体

そんないいムードで高総体を目指していた宇久高校だったが2020年3月23日、長崎県内の全高校は新型コロナウイルスの影響で、部活動が一時停止。活動が許されたのは4月に入ってからだった。

4月15日、いつもの練習前の挨拶も間隔を空けて行うサッカー部には、新入生の大塚誠也君が新たに加わり、再び8人になっていた。

練習に励む一方で、恐れていることがあった。

県高総体が開かれないかもしれないという可能性だ。

「できなくなったらもう本当にショックです。自分たちのサッカー人生も、宇久でやるサッカー人生も今年が最後なので、やっぱり高総体は出たいなと思ってます」

練習が始まった翌日、緊急事態宣言の対象が全国に拡大し、宇久島に取材に行くことができなくなった。渡航自粛は5月末まで継続となり、5月10日には史上初となる県高総体の中止が決まってしまった。

キャプテンの泊君はオンラインでの取材で、「ずっと県総体があると思っていたので、言葉が出ず涙が出るばかりでした。小学1年生からサッカーをやってきて、高校3年生で総体が一応節目となって、これから受験への気持ちの切り替えが難しいなと感じています」と、画面越しでも残念な思いを隠せない。

部員8人で書いていた交換日誌には、高総体への思いがつづられていたが、中止が決まった5月14日で終わっていた。

8人は「思い出になる練習を、みんなで笑って最後を締めくくる」と、高総体があるはずだった6月5日まで部活動を続けると話していた。

そして迎えた6月5日、8人の姿は佐世保港にあった。監督の計らいで、高総体の代わりに他校との練習試合をセッティングしてくれたのだ。

「感謝しか無いです。3試合できるということなので、3試合の中で1点を決めたいと思っています」

佐世保商業、清峰との試合を0−2、0−3で終え、最後の試合は宇久高校と同様に登録メンバーが8人の佐世保東翔との試合になった。

ここで陸上部からの助っ人として1年に渡りサッカー部に所属した上村君の得点と、ひとつ上の代の試合で骨折しながらもアシストをした陸人君のゴールで、4−0と勝利。この8人でプレーして初めての白星だった。

「嬉しいです。勝ったのは初めてです。8人で1人1人が最後までやりきると言う気持ちが社会にでて役に立つかなと思う」

これで事実上の廃部となったサッカー部。
6人の3年生達全員は、次の春に進学や就職で島の外へ行く。

「笑顔で終われたね」と言い合うサッカー部。

その笑顔の理由を聞いた。

「やはり高総体とは違う形でこんな風にやらせてもらって感謝の笑顔。見に来てくれた、支えてくれた人たちへの感謝の気持ちの笑顔」
 

(第29回ドキュメンタリー大賞『8人のサッカー部』)