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【タレント・ケーシー高峰さん (85) 】 4月6日死去

“お色気医事漫談”で知られるケーシー高峰さんが、4月6日肺気腫で亡くなった。 85歳だった。

白衣姿で黒板を使い、医療にまつわる話をしながらお色気ネタを交える独自の医事漫談を生み出し、昭和のテレビ界を盛り上げたケーシーさん。2003年に腰痛が悪化し、腰部脊柱管狭窄(きょうさく)症と診断。2005年には舌がんが見つかり手術。 2018年9月以降は仕事を控え自宅で療養していたが、亡くなる1カ月前に入院。30年前に移り住んだ福島・いわき市内の病院で家族らにみとられ旅立ったという。

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【漫画家・モンキー・パンチさん (81) 】 4月11日死去

人気アニメ「ルパン三世」の生みの親モンキー・パンチ(本名:加藤一彦)さんが肺炎のため亡くなった。81歳だった。

1967年に週刊漫画アクションで連載が始まった「ルパン三世」。ルパン三世は1971年からテレビアニメとして繰り返し放送されたほか、大ヒットした「ルパン三世 カリオストロの城」など映画化もされている。ルパン三世は怪盗アルセーヌ・ルパンの孫で神出鬼没の大泥棒。ルパンを追う永遠のライバル 銭形警部、次元大介、石川五ェ門、峰不二子など個性的なキャラクター達がファンの心を捉えてきた。モンキー・パンチさんの故郷 北海道・浜中町はルパン三世の町として知られ、モンキー・パンチさん自身も町おこしに取り組んでいた。

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【マラソン指導者・小出義雄さん (81) 】 4月26日死去

陸上女子長距離界で、数々の名選手を育て上げた小出義雄さんが死去した。80歳だった。

ひげを蓄えた野性味あふれる風貌と大きなサングラスがトレードマークだった小出義雄さん。千葉県佐倉市出身の元陸上競技の選手で、その後、指導者として、2000年シドニー五輪の金メダリスト高橋尚子さんや1992年バルセロナ五輪の銀メダリスト有森裕子さんらを育てたマラソン界の名伯楽だ。高橋尚子さんは「オリンピックでメダルを取れたのも世界記録を出せたのも、今の自分があるのも小出監督のおかげです。弱い私を根気よく指導して下さって、一緒に走って下さって、自信をつけさせて下さって、監督の大切な時間を費やして下さって、オリンピックでメダルを獲らせて下さって、ありがとうございます、と何度言っても伝えきれないほど感謝の気持ちでいっぱいです」と亡くなった恩師に感謝の言葉を寄せた。

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【女優・京マチ子さん (95) 】5月12日死去

女優の京マチ子さんが5月12日、療養中だった東京都内の病院で、心不全のため亡くなった。95歳だった。

大正末期の1924年、大阪に生まれた京マチ子さん。黒澤明監督の映画「羅生門」や、橋田壽賀子さんが脚本、石井ふく子さんが演出を手掛けた舞台などで活躍した。生前最後の舞台となったのは、13年前の舞台「女たちの忠臣蔵」だった。

【作家・田辺聖子さん (91) 】6月6日死去

文化勲章も受章した大阪市出身の芥川賞作家、田辺聖子さんが6月6日死去した。 91歳だった。

田辺さんは1928年、大阪市で生まれ、現在の大阪樟蔭女子大学を卒業後、会社勤めをしながら、文壇デビューを果たした。大阪弁を生かした恋愛小説や「新源氏物語」をはじめとする古典の現代語訳も手掛け、芥川賞や文化勲章も受章した。親族によると2019年4月末ごろから体調を崩して入院し、6月6日胆管炎のため神戸市内の病院で亡くなった。

【俳優・高島忠夫さん (88) 】6月26日死去

テレビ番組の司会など幅広く活躍した俳優の高島忠夫さんが6月26日老衰のため自宅で亡くなった。88歳だった。

妻で女優の寿美花代さんとは芸能界きってのおしどり夫婦として知られ、2人の息子、髙嶋政宏さんと政伸さんも俳優として活躍。最も有名な芸能一家として関心を集めてきた。一方高島さんは1960年代、30代のころに糖尿病を患い、1998年には重度のうつ病を発症。途中、芸能界に復帰するも、妻・寿美花代さんの介護を受けながら、病と戦い続けてきた。長男の政宏さんは「病院からの、あと5分後にご家族集まってください!のエマージェンシーコールが頻繁にあるようになったのが2年前。その度に全身が総毛立つような感じにはなりましたが、ここ数か月、寝たきりの状態が多くなり、呼吸も弱まり、母曰く最後は眠るように旅立っていった、のがせめてもの救いです」とコメントを発表した

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【評論家・竹村健一さん (89) 】7月8日死去

評論家の竹村健一さんが亡くなった。 89歳だった。

パイプを持った姿が印象的な評論家・竹村健一さんが東京都内の病院で7月8日多臓器不全のため亡くなった。「だいたいやねぇ」と関西弁でズバズバ言ってのける独特の語り口で人気を博していた。、評論家として80歳で引退するまで「竹村健一・世相を斬る」「報道2001」など多くのテレビ番組に出演した。

【芸能事務所社長・ジャニー喜多川さん (87) 】7月9日死去

大手芸能事務所「ジャニーズ事務所」の社長・ジャニー喜多川さんが7月9日、くも膜下出血のため亡くなった。 87歳だった。

ジャニー喜多川さんは1931年アメリカ・ロサンゼルスで生まれ、日本に移ったあと芸能界に入り、株式会社ジャニーズ事務所を設立した。フォーリーブス、少年隊、光GENJI、SMAP、嵐など人気男性アイドルを多数育て、音楽プロデューサーとして日本の芸能界の発展に貢献した。2011年、ギネス・ワールド・レコーズによって、「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」などに認定された。6月18日午前、東京・渋谷区の自宅で倒れて意識不明の重体となり、病院で治療を受けていたが、7月9日午後4時47分、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のため息を引き取ったという。

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プライムオンライン編集部
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