高橋尚子さんや有森裕子さんら数々の名ランナーを育て、日本の女子マラソンを世界レベルに引き上げた陸上の小出義雄さんが亡くなった。80歳だった。

死去の知らせに、教え子たちが在りし日の恩師を偲んだ。 

 
 
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ひげを蓄えた野性味あふれる風貌と大きなサングラスがトレードマークだった小出義雄さん。

2000年シドニー五輪の金メダリスト高橋尚子さんや1992年バルセロナ五輪の銀メダリスト有森裕子さんらを育てたマラソン界の名伯楽だ。

高橋尚子さんが金メダルを獲得した直後には、ひげを剃って会見場に現れた小出監督に高橋さんも「見違えた!監督でしょ?」とびっくり。小出監督は「約束だったもんな!全部剃っちゃった」とレース後にトレードマークのひげを剃ったことを明かし、つるつるになった頬を高橋さんに撫でられながら、喜びに浸っていた。
 

 
 

3選手が哀悼「多くを教えられた」 

その恩師との突然の別れに、高橋さんは次のようなコメントを寄せた。
 
高橋尚子さん:
オリンピックでメダルを取れたのも世界記録を出せたのも、今の自分があるのも小出監督のおかげです。弱い私を根気よく指導して下さって、一緒に走って下さって、自信をつけさせて下さって、監督の大切な時間を費やして下さって、オリンピックでメダルを獲らせて下さって、ありがとうございます、と何度言っても伝えきれないほど感謝の気持ちでいっぱいです。たくさんのことを教わりました。監督の笑顔をもっと見たかったし、お話ももっと聞きたかったです。これからは、大好きなお酒をたくさん飲んで、思いっきりかけっこして下さい。

 
 

また、1992年のバルセロナで銀メダル、1996年のアトランタで銅メダルを獲得した有森裕子さんは、4月24日午後 、涙をにじませながら共に戦った当時を振り返った。

有森裕子さん:
ケンカもしょっちゅうしましたけどね。ケンカもしましたし、相当手強い、手のかかるアスリートに困っていた監督の顔がよく浮かびます。「物事には意味のないものはない」と。どれだけ故障しても、それに意味があると立ち向かえた、監督からの一番の言葉です。

 
 

千葉真子さんも自身のブログに「私の人生を変えてくれた小出監督、今まで有難うございました」という題名で、次のように綴った。
 
千葉真子さん:
思い返せば・・・陸上だけでなく「人生」というのも教えて下さった監督でした。晩年は大好きなお酒もドクターストップで飲めなかった分、天国で存分にお酒を飲み、ゆっくりと休んで頂きたいです。

小出さんの訃報に地元は・・・ 

小出さんの地元、千葉県佐倉市の展示施設には、「夢の実現」とメッセージが書かれた色紙が飾られている。

 
 

市内にある「尚子コース」「裕子コース」と教え子たちの名前をとったジョギングコースは、かつて、高橋尚子さんら門下生たちと一緒に汗を流した場所だ。

地元の人からは、「2人で親子のように信頼関係で頑張ってるなって」「そばで拝見した。にこやかで佐倉市を愛している方でした」といった声が聞かれた。

「金メダルジョギングロード」
「金メダルジョギングロード」

来年に迫った東京オリンピックを見ることなく旅立った小出さん。日本人ランナーたちの力走を天国から見守ることになる。

加藤綾子キャスター:
選手と同じ目線に立ってその背中を押してあげる。小出さん流の指導法はとても印象的でした。ご冥福をお祈りいたします。

(「Live News it!」4月24日放送分より)