2026年元日、能登半島地震と奥能登豪雨の犠牲者追悼式が行われた。遺族代表の言葉を述べたのは、輪島市町野町に住む中山真さん(29)だ。

奥能登豪雨で姉を亡くす

中山さんは2024年9月の奥能登豪雨で姉の美紀さんを亡くした。その後、地元の臨時災害放送局「まちのラジオ」のパーソナリティーとして活動を続けている。中山さんは2025年9月、奥能登豪雨から1年の特別番組で姉への思いを語った。

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「僕の姉、美紀へ。今日9月21日で奥能登豪雨から1年が経ちました。そして僕の姉の命日です。僕が落ち込んだ時に寄り添ってくれて背中を押してくれたこと。本当に、本当に、31年間一緒にいてくれてありがとう。空の上から見守っとってね、宜しく」

2025年12月26日、取材で再会した中山さん。彼は追悼式での遺族代表として挨拶を行うことを託された。「最初に思ったのはやっぱりビックリしたんです。『え、俺なの?』って思っちゃったんですけど、でも…この体験は今回しか絶対にできないなと思って」

肌身離さず持ち歩く姉の形見

中山さんが追悼式で伝えたいことは…。「自分の命は自分で守りましょうという思いを強く伝えたいんですよ。姉を亡くしたわけですから、自分の命は自分で守らなきゃいけないんだって本当に強く思わされたんで。そういう思いをぜひとも皆さんに伝えたいです」中山さんには常に持ち歩いているものがある。姉・美紀さんの形見のバッグだ。

「僕はこのカバンの中に、『姉の魂』が残っていると思っている。ずっと手放さずに持ち歩きます。葬式が終わってからずっと持ち歩いていましたからね。肌身離さず、ずっと持っていましたから。どこか出かける時も、もちろんまちのラジオに行くときもこのカバンと一緒でしたからね。やっぱり絆は切れないです」

太陽のような存在だった姉

2026年元日、追悼式には能登半島地震と奥能登豪雨の遺族など337人が参加した。岸田元首相の追悼挨拶の後、中山さんが遺族代表の挨拶に立った。

「地震の約9か月後、奥能登豪雨が私たちを襲いました。いつも笑顔で、避難所でも周りを明るく励ます『太陽』のような存在だった姉。その別れは、私たち家族から光を奪い去り、私たちは深い悲しみと絶望に打ちひしがれました。そしてあの時『危ないから一緒に避難しよう』と伝えることができていればという後悔に何度も押しつぶされました」

絶望の日々から、まちのラジオへの参加。仲間に見守られ、支えられながら歩んできた再生の道のり。中山さんは静かに、しかし力強く思いを語った。「今後もラジオを通して、私と同じく、今回の震災や豪雨で大切な人を亡くした悲しみを抱える方に『あなたと一緒に乗り越えます』と寄り添いたい。姉も空の上から聞いてくれていると信じ、これからもラジオを続けていくことが、姉への弔いであり、地域の皆さんへの恩返しであると考えています」

風化をさせないために自分が動く

追悼式終了後、中山さんは安堵の表情を見せた。「ちゃんと伝えることができました」挨拶中も姉の形見のバッグを椅子の下に置いていたという。「追悼の挨拶を話す時も近くにいる感じがして、良かったです。緊張しなかったです」

一つの節目を終え、新たな一年への決意を語った中山さん。「地震や豪雨の情報を風化をさせないために、自分が動くしかないのかなと思っています」これからもお姉さんが生きたかった今日を生きる。中山さんの新たな一年が始まった。

(石川テレビ)

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