能登半島地震から2年。復興に向けた動きが進む中、災害の記憶をいかに語り継いでいくべきか。その中心的役割を担うのが「震災遺構」だ。被災した建物や地形を保存し、災害の記憶や教訓を後世に伝える目的で残される震災遺構について、金沢大学の青木賢人准教授と共に、現地の状況と住民の声を追った。
能登町が保存を決めた震災遺構「白丸郵便局」

「向こう側が海になりますけれどここに津波が入ってきた4メートルを超えるような高い津波が直撃をした施設になります。」

青木さんが訪れたのは、石川県能登町の白丸郵便局。県内で唯一、自治体が震災遺構として保存することを決めている施設だ。室内は津波の爪痕が生々しく残り、床には瓦礫が散乱している。

おととしの11月に保存が決まり、施設は郵便局長から町に寄付された。

住民は、「ある半面、それもいいかな。ある半面、そのまま残すのもあれかなって。両方あるわ。」また別の住民も「自分の家も2階だけ残った下はがらんどうになってしまって解体してしまった。個人の家じゃないから残っていても後々いいのかね。」と複雑な思いを語る。

町は来年度中に被災当時の状況がわかる写真を施設に展示し、修学旅行生などを受け入れる考えだ。また、地元の人が語り部となって震災の記憶を伝えていく予定もあると言う。

青木准教授は、「少し汚れがついている高さまでは津波が入っているんだと思います。数字で4メートル50センチの津波が来ていますよという風に見せられるよりも、こうやって見て、え?あそこまでっていうのが見られる。それが震災遺構という本物が持っている力なんだろうという風に思います。それをしっかりと語り継いでいけるだけのものがここにあるっていうことはすごく大切だと思っています。震災遺構として保存してほしい。」と、震災遺構の持つ意義を語る。

住民から保存を求める声も―鴨ヶ浦塩水プール
震災遺構として残してほしいという声が、住民からあがっている場所もある。

国の有形文化財、輪島市鴨ヶ浦の塩水プールだ。かつては海水が流れ込み、夏には地元の子どもたちで賑わったこの場所も、地震による地盤の隆起で海水が入ってこなくなった。
輪島市で宿泊業を営む谷口浩之さんは、「水がたっぷり入っていたプールが震災後は全部干上がって自然現象のすさまじさを感じる場所になっています。」と説明してくれた。

さらに谷口さんは、「どうしようもない状況で、以前の姿は取り戻せないですから。みなさんに防災的にも震災の記憶を思い起こす場所として活用できればいいな。」と震災遺構としての活用に期待を寄せている。

輪島市長が語る震災遺構候補地
震災遺構の保存について、輪島市の坂口茂市長は具体的な候補地を挙げてくれた。

「輪島市では、鴨ヶ浦付近、それからまた西部の方の黒島の漁港の辺り、隆起が大きかった。それから、東側の窓岩、窓岩があったところが欠けて、今ハート岩という風に言われてますけども、あの辺りが震災遺構として残すのにふさわしいんではないかという風には今思ってるとこです」
震災遺構として残す候補地として、住民から声があがった「塩水プール」、「黒島漁港」、そして地震の影響で形が変わった「窓岩」を挙げた。

震災遺構は「物言わぬ語り部」として、能登半島地震の記憶を伝える重要な役割を担う。能登半島地震から丸二年。復興が進む中でも、災害の教訓を後世に残していくためには、何を、どのように保存していくかという議論を続けていく必要がある。
(石川テレビ)
