小説家の村上春樹氏がニューヨーカーを前に公に姿を現すことは極めて珍しい。
しかし12月11日、「ジャパン・ソサエティー賞」を受賞した村上氏は満員の観客席を前に舞台に立っていた。過去30年の日本の経済の浮き沈みに触れつつ、今はアメリカにおいて日本の文学や音楽、映画。アニメなどの分野で文化的な進出がめざましくなり、日本の「顔」がみえるようになってきたと所感を述べた。
受賞を記念したイベント「Murakami Mixtape」は「ジャズ」と村上作品の「朗読」を文字通り「ミックス」したもので、ブロードウェーでは異例の演出だったが、ファンにとっては忘れられない夜となった。
公演を実現するために舞台に立った3人のキーパーソンがいる。
東京大学名誉教授で翻訳家の柴田元幸氏、ジャーナリストのローランド・ノゾム・ケルツ氏、そして世界的なジャズピアニストのジェーソン・モラン氏だ。3人はそれぞれ村上氏との接点は異なるものの、共通するのは村上氏への敬愛だ。
村上氏は「作家のイメージが変わるほど謙虚」
「『これ、知らないだろ!』という感じで、考えはしましたね」
公演前、企画に関わった翻訳家の柴田氏は、いたずらっぽく笑った。アメリカの「ダイハード村上ファン」がやってくることを見越して、英語に翻訳されていない作品も選んだという。その予告通り、1996年の短編小説「レキシントンの幽霊」などが紹介され、日本語と英語で交互に読む柴田氏とケルツ氏の朗読に観客はぐいぐい引き込まれていった。
編集者の立場で翻訳の原稿を高めるのが仕事だという柴田氏は、村上氏は「翻訳仲間」で、「作家のイメージが変わる」ほど、謙虚だという。
柴田元幸氏:
“Ready to be corrected”…「直される姿勢」になっているというか、言い訳は一切しないですね。
また、翻訳家として学ぶところもあるといい「英語の文章には英語の文章のリズムがあって、日本語の文章には日本語のリズムがあるってことを、村上さんはすごく体感的にわかっていて…『とにかく正しく直訳』『字面が正しければいい』ってもんじゃないってことは教わっている気がしますね」と話す。
日英の朗読とジャズピアノがつむぐ物語
柴田氏とケルツ氏の感情豊かな朗読で観客はいつの間にか主人公の気持ちになり、モラン氏のジャズピアノが風景や登場人物の心理を彩っていく。
ジャーナリストのケルツ氏は、大阪に住んでいた1998年から村上氏らと交流があり、出身のニューヨークのみならず、ボストンやサンフランシスコ、東京でたびたび村上氏と行動をともにしてきたという。その際は「レコード店めぐり」が定番だそうだ。
ローランド・ノゾム・ケルツ氏:
彼はホテルを出てレコード店に行き、いつも何か特別なアルバムがないか探しています。彼の中の「いい町ランキング」は、質の高いレコード店があるかどうかなんですよ。普通はいいレストランがあるとか、いいバーがあるかとかで評価されるかもしれませんが…Harukiはレコード店が基準です。
また、村上氏は日米の2つの文化の「架け橋」の模範だと評価する。
「彼はそもそも素晴らしい作家であり、偉大な芸術家ですが、人間としても素晴らしい。非常に規律正しく、好きなことに情熱を注ぎます。その姿勢は私にとって大きな刺激になります」とケルツ氏はいう。
読んで失神?!「セロニアス・モンク」がつなぐ2人の出会い
ジャズピアニストのモラン氏はこの日、村上氏と直接会うのは初めてだったが、2人の間には共通点があった。「ジャズ史上最高の鬼才」ともいわれたピアニストのセロニアス・モンク(1917年-1982年)に格別な思いを抱いているという点だ。
モンクに最も影響を受けたというモラン氏は無論、村上氏の「セロニアス・モンクのいた風景」(2014年)が最も好きな村上作品だ。翻訳は柴田氏とケルツ氏が手がけた。
ジェーソン・モラン氏:
翻訳を読んで「失神」ですよ。はっはっは!
モラン氏は豪快に笑った。「私と同じくらい音楽家モンクのことを思う人がどう感じたのかを、やっと文章で読むことができました」と感慨深げだ。
ジェーソン・モラン氏:
村上さんが文章に配置す「間」は、音楽においての「間」と同じように感じます。彼は音楽においてリズムがどういう機能を果たすのかわかっていて、どういうわけだか、文字にできるのです。
さらに、村上氏に敬意を払った。
「村上さんが特にジャズに対して抱いている情熱、ジャズについて書くときの姿勢、クラブオーナーとしてジャズを大切にし、音楽の力を絶えず広めようとしている姿を見ると…」と話すモラン氏は一拍おき、胸に手を当てて「…本当に音楽の力を広めてくれたことに感謝せずにはいられません」と語った。
この夜、モラン氏はとても大事にしてきたという限定版のレコードとジャーナルを村上氏に贈ったという。
村上氏自らが「海辺のカフカ」朗読のサプライズ
公演ではレアな演出も用意されていた。
村上氏が14歳だった時に来日公演を見に行ったバンドのダブルベース奏者、レジー・ワークマン氏(88)が舞台にあがって演奏に参加した。そして、最後は村上氏自らが「海辺のカフカ」のラストを朗読するというサプライズで締めくくられた。
「こんなイベント観たことない」「村上さんとの魔法のような時間だった」
イベントは反響を呼び、柴田氏もケルツ氏も公演後その大きさに驚き、喜びをかみしめた。東京での公演の構想も持ち上がっているという。
「Murakami Mixtape」の“第2章”が実現するのか…ファンの間では期待が高まっている。
【執筆・取材:FNNニューヨーク支局長 弓削いく子、撮影・取材:ディエゴ・ベラスコ、伊東浩文】
