奄美群島が日本に復帰して72年となった12月25日、奄美市内で先人たちの歴史を語り継ぐさまざまな集会が開かれた。
アメリカ統治からの解放を記念
奄美群島は1946年から約8年間、アメリカ軍の統治下に置かれていた。当時の住民たちは署名活動や集団断食など非暴力による復帰運動を展開し、1953年12月25日に念願の日本復帰を果たした。

日本復帰から72年目を迎えたこの日、復帰運動のリーダー泉芳朗の胸像が建つ奄美市のおがみ山には約40人が集まった。参加者たちは胸像に花を手向け、困難な時代を乗り越えてきた先人たちの苦労に思いをはせた。

集会に参加した住民は「本土にも簡単に渡ることもできず、生活にも困っていたが『今から新しい生活が始まるな』ということで、すごく喜んだのが印象に残っている」と当時を振り返った。また別の参加者は「先輩たちの思いを学んでいく中で、私たちもこの奄美群島のために頑張っていけたらと思った」と語り、先人たちの思いを受け継ぐ決意を新たにした。
子どもたちも復帰の歴史を学ぶ
かつて復帰運動の決起集会が行われた名瀬小学校の石段の前では、市内の小中学生約90人が集まり、泉芳朗の詩を朗読する行事も行われた。

参加した児童は「『昔、奄美は日本復帰を頑張ったんだよ』とか、そういうことをつないでいける奄美になってほしい」と感想を述べ、復帰の歴史を未来へと伝えていく意義を自らの言葉で表現した。
このほか、奄美市民交流センターでも「日本復帰記念の日のつどい」が開かれ、多くの市民が訪れた。参加者たちは奄美の苦難の歴史を後世に語り継ぐことの重要性を確認し、決意を新たにしていた。
非暴力の復帰運動が実を結んだ歴史
奄美群島の日本復帰は、住民たちの非暴力による粘り強い運動によって実現したことで知られている。署名活動や集団断食といった平和的な手段で自らの意思を示し続けた結果、1953年の復帰につながった。

復帰運動のリーダーであった泉芳朗は、奄美の人々の思いを詩や言葉で表現し、運動の精神的支柱となった人物である。現在も奄美市内には彼の胸像が建てられ、復帰運動の象徴として大切に守られている。
復帰から72年が経過した今日も、奄美群島の人々はこの歴史的出来事を忘れることなく、さまざまな形で記念行事を続けている。先人たちの思いを受け継ぎ、次の世代へと語り継いでいくことで、奄美の歴史と文化を守り続けている。
(動画で見る▶12/25に蘇る記憶 奄美復帰72年、「帰ってきた日」を語り継ぐ人々)
