太平洋戦争中に鹿児島県の悪石島沖でアメリカ軍に撃沈され、約1500人が犠牲になった学童疎開船「対馬丸」について、内閣府は船体を確認したと発表した。長年、多くの人々の心に刻まれてきた悲劇の記憶が、海底調査によって新たな形で確認された。

水深870メートルの海底で確認

内閣府は12月23日、無人探査機による海底調査の結果、水深約870メートルの地点で「対馬丸」の船体を確認したと公表した。公開された画像には、船体とともに「対馬丸」の船名も確認できる。

対馬丸の船名がはっきり確認、8​​70mで見つかる
対馬丸の船名がはっきり確認、8​​70mで見つかる
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この調査は11月27日から12月18日にかけて実施されたもので、内閣府は船体付近の木片や土砂も収集し、今後詳しい分析を進める方針だという。

1944年、悲劇の沈没事故

学童疎開船「対馬丸」は、太平洋戦争末期の1944年8月21日、沖縄県那覇から長崎県へ向けて出港した。しかし翌22日夜、悪石島の沖合でアメリカ軍の潜水艦による魚雷攻撃を受け沈没。子どもや教師など約1500人が犠牲となった。

約1500人が犠牲となった学童疎開船「対馬丸」
約1500人が犠牲となった学童疎開船「対馬丸」

この悲劇的な事件は、戦時下における民間人、特に子どもたちの犠牲を象徴する出来事として、戦後日本の平和教育においても重要な位置を占めている。

奄美大島での慰霊活動

沈没した「対馬丸」からは多くの遺体が奄美大島の宇検村の海岸に流れ着いた。この地には慰霊碑が建てられ、毎年慰霊祭が開催されている。地域の人々は平和の大切さや命の尊さを伝え続ける活動を行っている。

船体発見のニュースを受け、慰霊祭を実施している宇検集落の津田政俊区長は「子供たちの平和学習は2025年も行われている。(船体の確認で)2度と戦争をしない思いがつながればいい」と話した。

平和学習の継続へ

「対馬丸」の船体発見は、80年以上前の悲劇を改めて現代に浮かび上がらせることとなった。奄美大島の人々が守り続けてきた慰霊の営みは、この発見によってさらに意義を深めることになるだろう。

内閣府による今後の分析結果が注目される中、宇検村をはじめとする地域社会では、この歴史的事実を後世に伝え、平和教育の材料として活用していく姿勢を示している。

「対馬丸」の悲劇は、戦争の悲惨さを伝える重要な歴史的証言であり、今回の船体発見は平和への願いを新たにする契機となりそうだ。

(動画で見る▶「対馬丸」の船体を確認 宇検村の関係者「戦争をしない思いにつながれば」 鹿児島・奄美大島)

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鹿児島テレビ
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