アメリカ・ロードアイランド州の名門ブラウン大学で13日に起きた銃撃事件では、2人が死亡、9人が負傷し、その後、隣のマサチューセッツ州ボストンで名門マサチューセッツ工科大学の教授が射殺された。数日後、犯人は隣州ニューハンプシャーで自殺体として発見され、事件は一応の決着を見た。しかし、犯行に至った動機については、いまも多くが分かっていない。
それでも、この事件が残した意味は小さくない。犯人特定の決定打となったのが、捜査当局の内部分析や精緻なプロファイリングではなく、一般市民が提供した情報だったからだ。
州外から来ていた男性を誤認拘束
捜査の初動は必ずしも順調ではなかった。警察は事件直後、やや不鮮明な写真を一枚だけ公開し、ほどなくウィスコンシン州から来ていた男性を「重要参考人」と判断して身柄を拘束し、捜査はいったん落ち着いたかのようにも見えた。
しかし、この判断は決定的な証拠によるものではなかった。州外のウィスコンシン州から単身で移動してきていたこと、滞在目的が観光とも仕事とも言い切れない曖昧さを持っていたこと、さらに、軍歴があり射撃訓練を受けていたという経歴――こうした複数の状況が重なり、捜査側には「気になる人物」として映ったのだろう。状況証拠が積み重なり、刑事の経験則、いわば勘が刺激された結果だったと見るのが自然だ。
まもなく、男性は誤認拘束だったとして釈放され、捜査は振り出しに戻った。
SNSに投稿された“具体的な目撃情報”
その頃、匿名性の高いSNS「Reddit(レディット)」には、すでに注目すべき情報が投稿されていた。「lamin_kaare」というウエブネームの投稿者は、事件翌日の14日ごろ、次のような書き込みを行っていた。
「これは冗談ではありません。警察は、フロリダ州のナンバープレートを付けた灰色の日産の車を調べるべきです。レンタカーの可能性もあります。それが彼(不審な男性)が運転していた車でした。その車は、ロードアイランド歴史協会の裏手、クック・ストリート側にある小さな小屋の前に停まっていました。私がそう断言できるのは、彼がキーフォブ(リモコンキー)を使って車を開け、近づいたあと、何かに気づいたようで急に後ずさりしたからです。後ずさりした際、彼は再び車をロックしました。私はそれを不審に思い、彼がブロックを一周して歩いていくのを見てから車に近づきました。そのとき、フロリダ州のナンバープレートであることを確認しました。(後略)」
ここには、犯人像の断定も、感情的な言葉もない。あるのは、目の前で見た行動を、順序立てて記した観察の記録だけだ。車種、ナンバープレートの州、駐車場所、運転手の不審な挙動――いずれも捜査にとって有用になり得る具体情報である。
しかし、この投稿は当初、捜査の中心には据えられなかった。当時は、ウィスコンシン州の男性に捜査の重点が置かれていたためか、少なくとも表から見える限り、Reddit上の情報が直ちに精査された様子はなかった。
転機はその後に訪れる。警察は方針を切り替え、新たな写真や映像を複数公開し、5万ドルの懸賞金を設定して公開捜査に踏み出した。すると、これまで匿名で投稿していた lamin_kaare が警察に出頭し、不審な人物との具体的な遭遇状況や車両情報を直接伝えた。
車両が特定されたことで、プロビデンス警察は、市内各所に設置された数十台のAI搭載カメラの映像を精査し始めた。これらのカメラはナンバープレートを読み取れるほか、車種、色、車体側面の損傷、さらには窓に付着した鳥のふんといった細部まで識別できる。
警察の宣誓供述書によれば、監視会社フロック・セーフティが運用するこれらのカメラは、銃撃事件のほぼ2週間前から少なくとも14回、問題の車両を捉えていたという。近隣の都市や州の警察とも情報が共有され、最終的に犯人が自殺したニューハンプシャー州の小屋が突き止められた。
提供情報が捜査を前進させた事実
この経緯は、ニューヨーク・タイムズやAP通信も詳しく報じており、市民の投稿が捜査を大きく前進させたと認めている。
一方で、いわゆる「市民探偵」への警戒感が示されたのも事実だ。根拠のない情報で通報窓口が混乱することへの苛立ちから、ロードアイランド州選出の民主党上院議員で、元同州司法長官でもあるシェルドン・ホワイトハウス氏は、ソーシャルメディア上で憶測を広げる人々に対し、「黙っていろ」と強い言葉で苦言を呈した。「捜査の観点から言えば、何も分かっていない人たちが、愚かで不十分な見解をインターネット中にばらまく必要はまったくない」と、同氏は犯人がまだ特定されていなかった水曜日、連邦議会で語っている。
だが、皮肉なことに、捜査を前に進めたのはまさに「一般人」の提供した、具体性を備えた情報だった。刑事の勘と状況証拠に基づく内向きの捜査は一定の合理性を持ちながらも限界を露呈し、情報を広く公開した段階で初めて、市民の記憶と経験が捜査を動かしたのである。
この教訓は、日本にとっても無縁ではない。公判維持を理由に、防犯カメラ映像や捜査情報の公開に慎重な姿勢をとる日本の警察にとっても、市民の違和感や記憶をどう生かすかは、改めて考える価値のあるテーマだろう。
刑事の勘が不要になったわけではない。ただ、それだけに頼る時代でもなくなった。ブラウン大学事件は、捜査において「勘」と「公開」をどう組み合わせるべきか、そのバランスを問いかけているように見える。
(執筆:ジャーナリスト 木村太郎)
