文豪ウィリアム・シェークスピアの作品は、実は黒人でユダヤ人の女性によって書かれたものだ――。そんな主張を掲げる一書が英国で出版されることになり、この謎多き文豪の正体をめぐる議論が再燃している。

新たな“シェークスピア別人説”

問題の書は、『The Real Shakespeare: Emilia Bassano Willoughby(『真のシェークスピア――エミリア・バッサーノ・ウィロビー』)』。著者は、シェークスピアの作者問題を長年扱ってきた著述家、アイリーン・コスレットである。3月30日発売予定とされているが、すでに英語圏のメディアでは取り上げられ始めており、アマゾンに掲載された紹介文も刺激的だ。

アマゾンHPより
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「シェークスピアは本当にストラトフォード出身の白人男性だったのか。史上もっとも愛され、『英語圏の父』とも称される詩人の正体をめぐる論争はいまなお続いている。幾世代にもわたる研究者たちが、『ストラトフォードの男』という神話を解体しようとしてきた。
そして今、アイリーン・コスレットによるこの刺激的で綿密な一書が、シェークスピアは男性ではなく女性だったと決定的に示す。すなわち、ヴェネツィア出身の宮廷音楽家の家系に生まれ、ユダヤ系の血を引く、暗い肌の女性――英語圏世界の“母”である。その名はエミリア・バッサーノ」

シェークスピアについては、これまで「その名で発表された戯曲は、ストラトフォード出身でロンドンに移り、俳優兼劇作家として活動したウィリアム・シェークスピアという人物によって書かれたものだ」という見解が、一般的に受け入れられてきた。

ウィリアム・シェークスピア(画像:ゲッティ)
ウィリアム・シェークスピア(画像:ゲッティ)

しかし、シェークスピア本人の手による手紙が一通も残されていないことや、詳細な遺言書が現存するにもかかわらず、そこに本や戯曲、詩といった文学作品への言及が一切見られないこと、さらには署名が複数存在し、いずれも書体が一致しないことなどから、この通説に疑問を抱く人々も少なくない。彼らは「反ストラトフォード派(anti-Stratfordians)」と呼ばれている。

反ストラトフォード派の中で、これまで特に支持者が多かったのは哲学者フランシス・ベーコン説だが、学術的には決定的な根拠に欠けると見る研究者が多い。また、シェークスピア作品は複数の同時代作家との共作ではないかとする見方も根強い。

「ユダヤ系の黒人女性」その“根拠”は

コスレットの新著は一歩踏み込み、シェークスピアの正体は、エリザベス朝の詩人でユダヤ系の黒人女性エミリア・バッサーノ・ウィロビーであると断定した。

エミリア・バッサーノ・ウィロビーは、16~17世紀のイングランドに生きた女性詩人で、音楽家の家に生まれ、宮廷文化に近い環境で育ったとされる。1609年には自らの名で詩集を出版し、女性の知性や尊厳を重んじる思想を言葉に残した人物として知られている。

では、なぜコスレットは彼女をシェークスピアその人と断じたのか。本書を刊行前に入手した英国メディアの記事などによれば、コスレットはまず、作品に見られるイタリア社会や宮廷文化への詳しさ、女性の気持ちや抑圧を内側から描く視点に注目した。これらは、地方出身の男性俳優というより、宮廷や国際的な環境に身を置いていた人物の感覚に近いと考えたという。

さらにバッサーノは、シェークスピア作品を上演した主要な劇団と深い関係を持ち、作品を書くだけでなく、それを世に出せる立場にあった。そして、女性でありユダヤ系であったため、男性名義の背後に隠れて創作したとすれば、作者に関する記録が乏しいことも無理なく説明できる――こうした点を根拠として挙げている。

もっとも、ひとつ違和感があるのは、新書の表紙や現存する肖像画に描かれたエミリア・バッサーノが、一般的な意味で「黒人」に見えないことだ。この点についてコスレットは、当時の美意識や社会的圧力によって、肌の色が意図的に明るく描かれた可能性を指摘する。また彼女の言う「黒人」とは、現代アメリカ的な人種区分ではなく、北アフリカ系やムーア系(中世に北西アフリカやイベリア半島に居住したイスラム教徒)の出自を含む、当時の「非白人性」を指す概念に近いとしている。

シェークスピア別人説は、これまでも幾度となく現れては消えてきた。それでもなお、時代ごとに新たな装いで語り直されることをシェークスピアが知ったらこう言うかもしれない。
「人は、自分が知っている以上のことを語るべきではない」(『リア王』より)

(執筆:ジャーナリスト 木村太郎)

木村太郎
木村太郎

理屈は後から考える。それは、やはり民主主義とは思惟の多様性だと思うからです。考え方はいっぱいあった方がいい。違う見方を提示する役割、それが僕がやってきたことで、まだまだ世の中には必要なことなんじゃないかとは思っています。
アメリカ合衆国カリフォルニア州バークレー出身。慶応義塾大学法学部卒業。
NHK記者を経験した後、フリージャーナリストに転身。フジテレビ系ニュース番組「ニュースJAPAN」や「FNNスーパーニュース」のコメンテーターを経て、現在は、フジテレビ系「Mr.サンデー」のコメンテーターを務める。