手話が語る福祉のコーナーです。聴覚障害者のスポーツの国際大会、デフリンピックは12日間の熱い戦いを終え11月25日に閉幕しました。日本で初めて開催された大会が残したものとは。
(デフバドミントン 片山結愛選手)
「ものすごくうれしい気持ちでいっぱい。チームが全員一つになって全員でつかめた勝利」
〇サッカー女子 涙の銀
〇男子走り高跳び 佐藤秀祐選手が5位入賞
〇男子400メートルハードル 石本龍一朗選手8位入賞
79の国と地域から約2800人の選手が出場し12日間にわたって熱戦が繰り広げられた東京デフリンピック。訪れた人は目標の10万人を大きく上回る約28万人に上りました。
◆岡山・香川からは5人の選手が夢の舞台に デフバドミントン団体「金」女子サッカー「銀」に貢献
そして岡山・香川からは5人の選手が夢の舞台に立ちました。
(片山結愛選手)
「金メダルを目指して頑張る」
綾川町出身の片山結愛選手(21)。バドミントン混合ダブルスではまさかの予選リーグ敗退。気持ちを切り替えて臨んだ団体戦で見事、金メダル。リベンジを果たしました。
(小森彩耶選手)
「100年の記念すべき大会だからメダルを取りたい」
サッカー女子には倉敷市出身の小森彩耶選手(18)と石岡洸菜選手(21)が出場。予選から決勝まですべての試合に出場し銀メダルの獲得に貢献しました。
日本選手団は過去最多の51個のメダルを獲得しました。
◆サインエールで「人生で最高の応援ができた」 聞こえる人聞こえない人が感動とともに味わえる“同じ風景”
大会を盛り上げたのは競技だけではありません。デフリンピックならではのこんな取り組みも。
【デフリンピック開催に合わせて開発 サインエール】
(佐藤理子アナウンサー)
「聞こえる人も、聞こえない人も心を一つに選手にエールが送られます」
〇サインエールで「いけ!」
(サインエールをした人は…)
「前は一人や二人で応援するだけだったが、みんなで一緒にできるのですごく気持ちが上がる」
「(今まで)応援をどういうふうにしているのか、聞くことができないのでわからなかったが、サインエールはろう者や聴者関係なく応援できる。人生で最高の応援ができた」
(東京都大会事業推進課 八重樫真由美課長)
「聞こえる人聞こえない人が一緒の応援で一体になれる。同じ風景を見られる。感動を味わえるところがよかった。デフリンピックで終わるのではなくデフスポーツの応援スタイルとして定着してほしい」
◆カツン、コツン…打球音や歓声を文字化するシステム「ミルオト」で観戦すると「わかりやすい」
(佐藤理子アナウンサー)
「卓球の会場である東京体育館ではデフリンピックを初めて見て楽しめる工夫があります」
【打球音や歓声を文字化するシステム ミルオト】
(観戦した人は…)
「今まで音の表示はなかった。字幕だけだったが、「カツン」「コツン」という音が表示されて迫力があった。分かりやすくて良かった」
「画面を見て、バウンドする音がある。いつも音がしているんだと知って、面白いと思った」
◆交流拠点「デフリンピックスクエア」ではデフサッカー体験なども
交流拠点となったのが「デフリンピックスクエア」。体験型のコーナーなど45のブースが設けられ、選手や観戦に来た人など交流の輪が広がりました。
(デフサッカー体験)
「後ろからボールを転がす」
「目の前にボールが来たらスタッフが「蹴って」と合図を出すタイミングでシュートする」
「耳栓をつける」
(佐藤理子アナウンサー)
「今?!」
「タイミングがわからなかった。これを試合中にしているサッカー選手本当にすごい」
◆会話もできる「手話」…走り高跳び・佐藤秀祐選手は「単な手話を使えるくらい広まってほしい」
陸上の走り高跳びで5位入賞を果たした平林金属の佐藤秀祐選手。大会に参加したことで新たな思いも芽生えました。
(平林金属 佐藤秀祐選手)
「デフリンピックをきっかけに手話が広まっていてうれしい。会話もできるし良い。みんな少しでも簡単な手話を使えるくらい広まってほしい」
国籍や障害の有無に関わらず誰もがスポーツの楽しさや感動を共有できる。デフリンピックは互いを尊重し共生の輪を社会に広げる大きな一歩となりました。
取材を通して手話をやってみたいと話す人が増えたと実感しました。手話への理解が広がり、互いを尊重し共生の輪が広がればいいなと感じました。