胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんが、11月7日に熊本・菊陽町の小学校を訪れ、講演を行った。まっすぐなまなざしで見つめる子どもたちを前に、思いを伝えたしのぶさん。そのメッセージとは。
胎児性水俣病患者・坂本しのぶさん
11月7日、菊陽町立菊陽北小学校を訪れたのは、胎児性水俣病患者の坂本しのぶさん。水俣病が公式に確認された1956年(昭和31)生まれの69歳で、母親の胎内にいるときに水俣病の原因物質・メチル水銀の影響を受け、生まれながらに症状を抱えている。

菊陽北小学校で、菊陽北小と菊陽南小の5年生の児童約110人を前に講演した。しのぶさんの隣でマイクを握るのは元小学校教諭で、『水俣・芦北公害研究サークル』会長の梅田卓治さん。当事者の話を直接聞くことで水俣病について自分の心で感じ、考えてもらおうと、学校訪問などを通して水俣病教育に取り組んでいる。

しのぶさんは「私の歩くまねをする男の子がいました」と話し、梅田会長が児童たちに「しのぶさんはちょっと跳ねるような歩き方をするんだけど、その歩き方をばかにして、歩くまねをしてからかう友達、子どもがいたそうです。だから(朝礼がある)月曜日は〈また中庭に行かなくちゃいけない〉〈また誰かが自分をばかにして、からかうだろう〉と思って月曜日が嫌だった」と説明した。

6歳まで歩くことができずに1年遅れて小学校に入学したこと、病院に入院しながら学校に通い、家族と離ればなれで寂しかったことなど、幼い頃からこれまでのことを、しのぶさんは自分の言葉でゆっくりと語った。
「恨んだこともあったけど…」
しのぶさんは「(15歳の時)スウェーデンに行きました。私は本当はあまり行きたくありませんでした。お母さんが『この子を見てください』と言いました。『水俣にはもっと重い症状の人がいます』と言いました」と振り返る。

梅田会長は「お母さんがしのぶさんを横にして『この子を見てください』『水俣病の患者です』と言ったんですけど、『実は水俣にはもっと症状のひどい寝たきりの患者がいるんですよ』とも言われたそうです」と説明すると、今年度に水俣市を訪れ、水俣病についての学習を重ねていた5年生の児童たちは、しのぶさんが絞り出す声にじっくりと耳を傾け、まっすぐなまなざしで見つめていた。

児童たちから「お母さんのことをどう思っていますか?」と尋ねられると、しのぶさんは「恨んだこともあったけど、私のことを産んでくれて良かったなと思っています」と答えた。

そして、支援者の谷由布さんが「しのぶさんの小学校終わりごろかな、すごくお母さんのことを恨む気持ちも出てきたときもあったんだけど、今は〈お母さんも病気だったんだな〉と思うし、〈自分のことを産んでくれてすごくありがとう〉と思っているそうです」と、しのぶさんの気持ちを児童たちに伝えた。
「自分のこと、自然のことも大切に」
水俣病患者として国内外の多くの場で講演してきたしのぶさん。最後に子どもたちに「〈自分のことを大切にしてほしい〉と思っています。『水俣病は終わった』と言う人もいるけれど終わっていません。〈自然のことも大切にしてほしいな〉と思います。〈何かあったら先生とか友達に話をしてほしいな〉と思っています」と、メッセージを贈った。

しのぶさんの講演を聞いて児童たちは「〈まだまだ解決していない水俣病の問題があるんだな〉と感じました」や「しのぶさんの話を聞いたり、今まで学んだりしたことを地域の方や下の学年の子にも正しく知ってもらいたいなと思いました」と話した。

2026年は水俣病公式確認70年。しのぶさんはこれからも自分の声で水俣病を発信し続ける。
(テレビ熊本)
