…が、実際にイスラエル人がエジプトの国を発つと「やっぱり貴重な労働力を失うのは惜しい!追いかけて捕まえろ!!」と、ファラオはなんと軍勢を派遣してイスラエル人を追いかけました。

イスラエル人たちは紅海の縁にまで追い詰められて絶体絶命の危機に陥りましたが、ここで起こったのがあの有名な「モーセの海割り」です。

紅海の海原がぱっか――んっと二つに割れ、イスラエル人はその割れ目を通って逃げましたし、それを追ったエジプト軍は再び元に戻った海に飲まれて全滅してしまいました。

ファラオはとことんまで「損切り」ができなかったために、生産力だけでなく軍事力まで失ってしまったのでした。ファラオはどこまでも負けず嫌いで、負けを認めることができない人でした。どれほど神様の強大な力を見せつけられても「負けない!」と食い下がる人でした。

ファラオは愚かなのか

聖書を読む僕たちには、ともすればファラオが愚かに見えるかもしれません。「意地を張れば張るだけひどい目に遭うのにバカだな〜」なんて思ってしまうかもしれません。でもこのファラオの姿は、どんな人間にもある姿なのではないかと思います。

誰だって負けを認めるのは嫌なものですし、立場が上になればなるほど、素直にはなれなくなります。責任が重ければ重いほど、負けを認めることで失うものが大きくなるからです。

ファラオの肩には自分のプライドだけでなく、エジプトの国益もかかっていたんです。そんな重荷を背負いつつ負けを認めることの難しさは、想像するに余りあります。僕がその立場であったら、やっぱりファラオのように頑固になったかもしれません。

背負うものが大きければ大きいほど、負けたときに失うものも大きい、「損切り」で確定してしまう損失も大きいんですから。でもだからこそ、すべきときには決然としてすっぱりと「損切り」をする勇気を持つことも、また必要なんだと思います。

『聖書のなかの残念な人たち』(笠間書院)

MARO(上馬キリスト教会ツイッター部)
キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。約11万人のフォロワーを持つXアカウント「上馬キリスト教会」(@kamiumach)の運営を行う「まじめ担当」と「ふざけ担当」のまじめの方でもある。クリスチャン向けウェブサイト「クリスチャンプレス」ディレクター

MARO
MARO

上馬キリスト教会ツイッター部。1979年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学Contemporary Writing and Production卒。キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。約11万人のフォロワーを持つXアカウント「上馬キリスト教会」の運営を行う「まじめ担当」と「ふざけ担当」のまじめの方でもある。クリスチャン向けウェブサイト「クリスチャンプレス」ディレクター。著書に『上馬キリスト教会ツイッター部のキリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『人生に悩んだから「聖書」に相談してみた』(KADOKAWA)、『聖書を読んだら哲学がわかった キリスト教で解きあかす「西洋哲学」超入門』(日本実業出版社)、『人生を深めるおとな聖書 教養とはこういうものだ。』(ポプラ社)、『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(だいわ文庫)、『上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。