2月22日は島根県が2005年に条例で制定した「竹島の日」で、2026年で21回目を迎えた。
竹島に関する取材を進める中でTSKは、韓国による不法占拠が始まった1954年に竹島へ渡った男性に話を聞くことができた。
また江戸時代初期に日本の商人が竹島などで漁労活動をして、詳細に記した地図や文書が発見されたほか、昭和初期のアシカ猟の様子を克明に記録した映像フィルムが発見されるなど、日本の領有権を示す「第一線級」の証拠資料も発見、公開されている。
日本人で竹島での営みを直接知る世代がほとんどいなくなる中、こうした貴重な証言と新たに発見された史料から、この問題にこれからどのように向き合うかを考える。
高市総理の発言変化が浮き彫りにした政府姿勢
注目されていたのは、高市早苗総理の竹島問題への姿勢の変化だ。2025年9月の自民党総裁選の期間中、当時経済安保相だった高市氏は「本来でしたら竹島の日(の記念式典)に堂々と大臣が出ていったらいいじゃないですか。それは顔色をうかがう必要はない」と強気の発言を示していた。
これは、島根県が2005年3月に条例制定した「竹島の日」に合わせて翌年から開催されている式典を巡る発言。
過去20年間の式典では、主催する県などが要望していた「閣僚」の出席はない。政務官が出席するようになったのも2013年からで、政府にとって「逃げ腰」で臨んできた「竹島の日」の式典に、「大臣が出席すればよい」という強気の発言。
これに関係者は、これまで地元の意向を酌んでくれなかった状況に期待感を高めていた。
しかしそのわずか1カ月後、総理に就任した後の10月、立憲民主党の今井雅人衆院議員から同様の質問を受けた際の答弁は一変。
「竹島の日の式典の政府代表については適切に対応して参ります」とトーンダウンし、2026年も従来どおり政務官が式典に出席することが決まった。
「政務官出席は100点中2点…」政府の対応に失望
この状況について、島根県の丸山知事は率直な評価を下していた。
「竹島の領土権確立が100点だとすると、政府主催の式典の開催というのはある意味10点、政務官が出席している状況は言ってみれば2点」と述べ、閣僚の出席自体に重きを置いていないとしながらも、失望の色をにじませた。
“最後の証言者”が語る…1954年の記憶
松江市在住の野津豊さん(95)は、竹島問題を語る上で貴重な存在だ。
竹島での漁業権行使のため、1954年に県の取締船「島風」の乗組員として、ワカメやアワビの漁を行う隠岐の漁師を乗せて竹島に渡った。これが公式に記録された竹島での日本人による最後の漁となっている。
当時、韓国が竹島の領有権を主張していた緊迫した状況の中、竹島への渡航は極秘事項だった。「(到着した時は)島の名前も分からなかった。(竹島渡航そのものが)マル秘でした」と野津さんは当時を振り返る。
野津さんは、自らが竹島の姿を写真に収めていたほか、松江市の竹島資料室で公開されている写真にも上陸した野津さんの姿が記録されている。
しかし写真を目の前にしても「全然記憶ありません。どういうふうな状態で撮られたかは全然分かりません」と、時間の経過とともに記憶が曖昧になっている現実を語る。
(※TSKではこれまで、1954年の竹島での漁労に携わった2人を取材しており、証言映像を保存しているが、ともにすでに亡くなっている。)
新発見の映像資料が物語る…領有権の歴史
記憶の継承が課題となる中、東京・千代田区にある国立の展示施設「領土・主権展示館」では、貴重な記録を活用して記憶を次の時代に繋ぐ試みが行われている。
2025年11月に完成したゲートウェイホールでは、施設拡張に伴う情報収集の過程で発見された貴重な映像が公開されている。
公開されているのは、1934年に大阪朝日新聞(現在の朝日新聞)が、隠岐の漁師に同行して撮影したアシカ猟の様子を記録した映像。
竹島でのアシカ猟の克明な記録としては唯一のものとみられる。映像には網にかかったニホンアシカを漁師が浜に揚げる様子や竹島の全景が収められている。
内閣官房 領土・主権対策企画調整室の齋藤康平さんは「実際に映像を見ると、手慣れた様子でいろんなアシカ漁のための様々な作業を行っているので、間接的にではあるが、島根県が付与した漁業権が隠岐の人々によって実際に執行されていたことが非常によくわかる」と分析している。
アシカ猟の方法を詳細に…漁師の重要証言
この映像に登場する漁師を、TSKは2006年に取材していた。当時95歳の吉山武さんだ。
2006年当時は、昭和9年の竹島での猟の様子を収めた写真の存在が知られていた。
その写真を見て当時の記憶が鮮明に蘇った吉山さんは、「これがアシカ猟だ。(アシカのことを)トドと言っていた」と話していた。
さらに、「(アシカの)子を船に積んで、親を湾に誘い込んで集まったところに網をかけた。体が乾いたらいけないので海水をかけてやった」などと具体的な漁の手法を証言していた。
こうした竹島での漁労の様子を克明に語る肉声も非常に貴重な資料といえる。
“第一線級”の新史料発見と研究の進展
島根県も領土権を示す歴史的資料の収集を継続している。
2024年から2025年末にかけて、鳥取県米子市の商家に残る古文書や地図など約70点の史料を新たに取得した。これらは江戸幕府公認のもと、古くから竹島で日本人が活動していたことを示す「第一級」の史料とされる。
島根県竹島問題研究顧問の藤井賢二さんは「国が認めた上で活動する。そういった実績がずっと積み重なって領土というものになる。竹島で獲れた様々な産物を幕府の方に献上していたという莫大な資料の中に書かれていて、日本側の証拠能力の着実な蓄積と言えるのではないか」と意義を説明している。
村川家文書は、江戸時代初期に当たる17世紀に竹島で漁をしていた「村川家」の 文書だ。
米子の商家「村川家」は、同じく米子の大谷(おおや)家とともに幕 府から特に許可を受けて両家交替で毎年船を出し、当時無人島であった鬱陵島(ウルルン島) へ渡ってアワビ漁、アシカ猟などを行っていた。
竹島は、米子から隠岐を経由して鬱陵島へ行く途中にあったため、当初から航行の目印、停泊地などとして利用され、後にはこの竹島でも幕府公認の下で漁猟が行われた。
公開された村川家文書は、竹島と鬱陵島が描かれた絵図、幕閣への「干し鮑」贈呈の記録、各種の請願、照会に対する返答、 鬱陵島・竹島渡海時期の出来事を記録した文書、その他、明治期に至るまでの家業に関する文書など69点の史料からなっている。
竹島が古くから専ら日本人の活動の場であったことを示す第一級の史料として評価されている。
解決への課題と今後の展望
ただ藤井さんは、発見された資料だけでは竹島問題を「歴史問題」と捉える韓国側の姿勢を変えるのは難しく、日本政府の毅然とした姿勢が必要だと強調する。
「常に事実に基づいて冷静にやっていく。ただ韓国に対して私はもう少し怒りの姿勢を見せても良いと思う。日本は本当に怒っているんだということをもっと見せてもいいところはあるとは思います」と話す。
「台湾有事」発言をめぐり東アジア情勢の緊張が高まる中、良好な日韓関係を維持したい高市政権にとって、竹島問題は難しい外交課題となっている。
韓国による不法占拠から70年余りが経過し、直接の記憶を持つ世代がいなくなろうとする今、竹島問題の解決へ糸口が見いだせないまま、2026年も変わらない「竹島の日」を迎えた。
(TSKさんいん中央テレビ)
