見るもの聞くものすべてが刺激的な毎日を送る中で、ついに「その日」が訪れた。
日本人初メジャー勝利投手の誕生
64年9月29日――。
本拠地のキャンドルスティック・パークで迎えたヒューストン・コルト45’sとの一戦だ。
翌年からはアストロドームが完成し、チーム名もアストロズと改称されることになる、その前年のことである。
4対4で迎えた9回に村上はマウンドに上がった。息詰まる場面ではあったが、村上に緊張はなかった。9回、10回、11回とイニングが進んでいく。
3イニングで打たれたヒットは1本のみ。ほぼ完璧と言っていい内容だった。そして11回裏、マティ・アルーのサヨナラホームランでチームは勝利した。

見事なサヨナラ勝利であり、チームにいい流れをもたらしたのが村上の好投だった。ちなみにアルーは後に来日し、太平洋クラブライオンズ入りを果たすことになる。
「メジャー初登板のことも印象深いけど、この初勝利も忘れられない瞬間ですよ。アルーはこの年、1本しかホームランを打っていない。でも、その1本が私にとって、生涯忘れられない喜びをもたらしてくれました。あれは本当に嬉しかった」
サヨナラホームランだったため、ウイニングボールを手にすることはできなかった。
それでも、脳裏に刻まれたあの白球の弾道は、60年が経過してもなおありありと思い描くことができる。
村上にとっての記念ボールは、心の中にハッキリと記憶されている。こうして、「日本人初のメジャーリーガー」は、「日本人初のメジャー勝利投手」となった。
アメリカ暮らしに膨らむ期待
この年、9試合に投げて1勝1セーブ、防御率1.80でシーズンを終えた。
シーズン終了後には、ジャイアンツの指示によりアリゾナで行われるウインター・リーグへの参加も決まった。
日本からはホークスの先輩である西村省三と、アリゾナ州フェニックスでアパート暮らしをしながら、課題であるスクリューボールの精度を上げるべく、さらに熱心に取り組んだ。