6日、地下鉄サリン事件などで死刑が確定していたオウム真理教の教祖 麻原彰晃こと、松本智津夫死刑囚ら7人の死刑が執行された。

教団はどうやって信者を獲得し、どうして武装化の道を歩んでいったのか。
オウム真理教について振り返る。

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「しょしょしょしょしょーこー♪」

教祖の松本死刑囚と幹部24人が立候補し落選した1990年の衆議院選挙。
オウム真理教のパフォーマンスが注目を浴びた。

松本死刑囚は当時、「まず当選はできると思っています。ある意味で目立たなければならない、たたかれなければならないというんですかね。そういうカルマ(宿命)を背負ってるんだなと」と語っていた。
独特の修行に、ホーリーネームと言われる信者の呼び名も話題となった。

しかし、その時すでに教団は、教団を追及していた坂本堤弁護士(当時33)一家3人を殺害していた。



「空中浮揚」と称する修行

松本死刑囚が、「オウム神仙の会」代表として宗教活動を開始したのは1984年のこと。
教団のビデオには「空中浮揚」と称する修行の様子が収録されていた。

1987年に、オウム真理教と名称を変えると、「ハルマゲドン(人類最終戦争)は回避できない」と、不安をあおって若者の心理につけ込み、信者を急速に増やした。
「ポア」という言葉で殺人を正当化させる教義を持ち、非合法活動をエスカレートさせた教団は、松本死刑囚らの衆議院選挙落選をきっかけに、「武装化」の道を突き進む。

「1997年から1998年にかけて日本の大都市のほとんどが戦争で壊滅的な打撃を受け・・・崩壊することでしょう」

1993年、ロシアの武器工場で撮影された映像にはマシンガンをうつ教団幹部だった早川紀代秀死刑囚の姿。
早川死刑囚は機関銃を日本に持ち帰ろうと交渉していたのだ。
そして化学などの専門知識を持つ高学歴の信者を獲得していた教団は、ついに猛毒の化学物質「サリン」の生成に成功した。

「国家権力を倒し、オウム国家を建設して自らその王となり、日本を支配する」(松本死刑囚・地裁判決より)

妄想をもとに武装化した教団は、「無差別テロ集団」へと姿を変え、日本で初めての大規模な化学テロを実行した。

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