広島・平和記念公園にある“原爆の子”の像は、1955年に12歳でこの世を去った、佐々木禎子さんがモデルになっている。白血病と診断され、生きたいと願い折り続けた千羽鶴は、時代を超え、平和の象徴となっている。

市内中が火の渦…「情景が地獄」

広島で被爆し、12歳ではかない生涯を閉じた少女が福岡の地で静かに眠っている。2023年8月11日にお墓に手を合わせ、じっと頭を下げているのは、佐々木雅弘さん(82)だ。

禎子さんの兄・佐々木雅弘さん:
禎子の分まで頑張ってしなきゃいけないから、頑張ります。ねえ、禎子。頑張るよ、兄ちゃんは

お墓に眠っているのは、雅弘さんの妹・佐々木禎子さんだ。禎子さんは、1955年に12歳でこの世を去った。

1945年8月6日午前8時15分に、人類初の原子爆弾が広島に投下された。禎子さんと兄の雅弘さんは、爆心地から1.6km離れた自宅で被爆した。爆風で家は全壊したが、体はほぼ無傷だったという。

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禎子さんの兄・佐々木雅弘さん:
家の周りから市内中が火の渦ですから。とにかく川に逃れないと焼け死にますからね、川に逃れたんです。川に行く途中の情景というのは、それは口では言い表せない。もう地獄ですよ

その後、雅弘さんたちは元の生活を取り戻し、禎子さんは小学校に進学した。“学校一、足が速い”運動神経抜群の女の子だったという。しかし、小学校の卒業を間近に控えた頃、禎子さんは「白血病」と診断される。

禎子さんの兄・佐々木雅弘さん:
「禎ちゃんは早ければ3カ月、長くても1年。そう覚悟しなさい」と病院の先生から言われた

「鶴を千羽折ると願い事がかなう」と信じて、禎子さんは「千羽鶴」を折り続けた。その姿はいまも、広島・平和記念公園にあるひとつの像が語り継いでいる。原爆の子の像は、禎子さんをモデルにして作られ、現在も国内外から年間1,000万羽が捧げられている。

「黙とうは当たり前じゃなかった」

半年ぶりに広島に帰ってきたというテレビ西日本・入社1年目の江川夕月記者は、広島市で生まれ育った。終戦の日に合わせて、禎子さんが見たヒロシマを歩く。

三篠川(旧名)付近は、禎子さんたちが火を逃れるために来た場所だ。今の穏やかな広島の様子からは、被爆時の状況は全く想像がつかない。禎子さんが通っていた幟町小学校の正門は、当時のまま現在も残っている。

毎年、8月のこの時期になると、国内外から多くの人が原爆ドームに訪れる印象があるという江川記者は、広島の被爆の歴史について抱えていた葛藤があった。

テレビ西日本 報道部・江川夕月記者:
大学1年生の8月6日は、進学先の東京で迎えたんですけど、私は8月6日の午前8時15分は、当たり前に黙とうするものだと思っていたんですね。でも同じ寮に住んでいる人は、8月6日のことを全く気にする様子もなく、「そうなんだ」みたいな薄いリアクションで…。みんなにとっての当たり前じゃないんだというのに気づかされました

だからこそ、記者となった今、「伝える」大切さをこれまで以上に感じているという。

テレビ西日本 報道部・江川夕月記者:
私たちの代で途絶えさせるんじゃなくて、次の世代に伝えていくような発信がしたいなと思います

生きようとする姿を焼き付けて

川野登美子さん(81)は、禎子さんの同級生で親友だったという。

禎子さんの親友・川野登美子さん:
禎ちゃんは小学1年生から6年生まで、一度も学校を休んだことがないんです。そんな禎ちゃんが学校休んだんですから、びっくりして…

川野さんたち同級生が病院にお見舞いへ行くと、「鶴を千羽折ると願い事がかなう」と、禎子さんは一生懸命に折り鶴を降り続けていた。川野さんは、禎子さんのその生きようとする姿をしっかりと目に焼き付けたという。

禎子さんの親友・川野登美子さん:
禎ちゃんは、「白血球が10万超えてるから死ぬんじゃあ」言うことを聞いているんだから、それでもなお、ずっと亡くなるまで鶴を折っていたんですね…。どんな思いでね、禎ちゃんが鶴を折り続けていたのかと思うと。中学1年生だった私たちの胸は張り裂けるような悲しい思いに…

「でも…」と川野さんは、今、折り鶴に対して悲しみだけではない思いを抱いている。

禎子さんの親友・川野登美子さん:
(折り鶴は)随分、以前は悲しいものだと思っていたんですよ、禎ちゃんが折っていたからね。でも今では、平和の象徴に見えます。台座の上で少女が折り鶴を掲げた姿というのは、私たちにとっては紛れもなく佐々木禎子さんです

福岡で暮らす兄の雅弘さんは、禎子さんが折った鶴を今でも大切に持っている。

禎子さんの兄・佐々木雅弘さん:
これは禎子が折った本当の鶴です。羽の先も尻尾の先も口の先もピーンとしてるでしょ。いい加減じゃないんですよ、折り方が

禎子さんが折った鶴は、指先に乗せられるほどの小さく軽いものだ。しかし、その小さな鶴が伝えている言葉は、人類の平和を希求する大きく深い思いにほかならない。

禎子さんによって平和の象徴となった折り鶴は、5月のG7広島サミットで、その複製品が各国の首脳に渡された。

禎子さんの兄・佐々木雅弘さん:
戦争がなければ原爆は落ちておりません。戦争がなければ被爆者もなかった。戦争はやってはいけない。唯一、言えることです

時代を超え、折り鶴はメッセージを発信し続けている。

(テレビ西日本)

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