死者、行方不明者49人にのぼった8・6豪雨災害。当時の大雨では、鹿児島市内の甲突川、新川、稲荷川の3つの河川が氾濫し、1万戸以上が浸水した。あれから30年、治水のための整備が進められたが、一部は未整備のままとなっている。その成果は、そして課題は?河川改修に注目する。

石橋が流失、流域の国道は川のように…甲突川のその後

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鹿児島市郡山町の八重山を水源とし、鹿児島市街地を流れる甲突川。1993年、川は氾濫し鹿児島市街地を水害が襲った。付近の国道3号は泥水に飲まれ、橋も崩落。甚大な被害が出た。

8・6豪雨災害のあと、鹿児島県は約410億円をかけて川の幅を5~10メートル広げ、川底を約2メートル掘り下げる改修工事を実施した。その結果、川を流れる水の量は最大で毎秒700トンと、災害前から倍以上に向上した。実際に、2019年6月には8・6を超える雨量の大雨が鹿児島市で観測されたが、甲突川流域の浸水被害はなかった。

甲突川の地下に広がる巨大な空間…その目的は?

河川改修のほか甲突川の流域では雨水対策として造られたものがある。甲突川から国道3号側を挟んだ高台の玉里団地にある玉里中央公園。実はこの地下に雨水をためる施設があるのだ。

鹿児島市水道局 雨水整備室・大庭義文室長:
中がこういった形で部屋が出てきます。声が反響するくらい広い空間になっていますね!

公園の下には柱が林立する広大な空間が広がっていた。大雨で雨水が一気に川に流れ込むのを防ぐため、一時的に雨水をためる地下貯留施設となっている。

上片平健アナウンサー:
本当に広くて左右を見ても奥が見えないくらい

鹿児島市水道局 雨水整備室・大庭義文室長:
どこまで続くのかなという感じがしますよね

すると、上片平アナウンサーが何かを見つけた。

上片平健アナウンサー:
柱のこの辺りに芝のようなものがくっついていますが…

芝のようなものがついており、このあたりまで水がきたことがわかる
芝のようなものがついており、このあたりまで水がきたことがわかる

鹿児島市水道局 雨水整備室・大庭義文室長:
これが、ここまで水がきた証拠ですね

天井の高さは3メートルあるが、梅雨の時期に降った雨がこの2メートル以上の高さまでたまった形跡が確認できた。

新川と稲荷川の今

新川は、鹿児島市の住宅密集地を流れている。8・6豪雨災害をはじめ、大雨のたびに氾濫を繰り返してきた。こちらも河川改修で流下能力は倍増し、さらに2013年、上流の鹿児島市西別府町に西之谷ダムが造られた。普段は水をためず、大雨のときだけ一定量の水をため、新川に流れる水の量を抑える「治水専用ダム」となっている。

一方で、整備が遅れている稲荷川。1993年の氾濫では中学校や住宅地の周辺で川が氾濫し、商店街も冠水した。河川改修に携わる鹿児島県の福永和久河川課長は、当時の様子をこう振り返る。

鹿児島県土木部 河川課・福永和久課長:
水位計があったが、その水位計自体も浸水したり、川には家が倒壊し、流れるという惨状を見た記憶がある

稲荷川でも河川の改修が行われ、流下能力は倍増したものの、まだ終わっていない工事がある。それが放水路の設置だ。

「放水路」とは川の流れを分岐させるための水路のことで、稲荷川の中流あたりを掘り進め、錦江湾に川の水を流すため、国道10号やJRの線路の下、さらに多賀山の地下を通る約1kmの巨大な水路の整備が計画されている。しかし、工事は手つかずの状態。

鹿児島県土木部 河川課・福永和久課長:
当時浸水した戸数は甲突川で約1万2,000戸、稲荷川で約800戸、新川で約1,400戸。激特事業(河川激甚災害対策特別緊急事業)の対象となる2,000戸という浸水戸数に満たなかったので、通常の河川改修事業でやらざるを得なかったという背景がある。ほかの2河川からすると進捗(しんちょく)がどうかという意見はたくさんあると思うが、ようやくこの川の放水路着手に向けて本格的に事業展開を作っていかないといけないと思っているところです

稲荷川の流域では、8・6豪雨で住民5人が犠牲となった。県は、着工から最短で10年から15年をめどに工事を完成させたいとしている。

あの夏から30年たつが、水害のない街に向けたハードの整備は、今も道半ばの状態だ。

(鹿児島テレビ)

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