鹿児島市を中心に大きな被害の出た1993年の「8・6豪雨災害」発生から2023年で30年。海の安全を守る鹿児島海上保安部でも、当時のことを知らない若手職員が増えている。
6月、自然災害の脅威を知ってもらおうと、当時救助にあたった巡視船の乗組員らがあの日の状況を語った。

巡視船乗組員が救助状況語る

「海面が茶色く濁っているんですね、見たこともないような色で」

この記事の画像(11枚)

若手職員を前にこう話したのは、鹿児島県、串木野海上保安部の日髙弘人次長だ。日髙さんは当時、巡視船「こしき」の潜水士として、国道10号が寸断されて鹿児島市・竜ヶ水地区に取り残された住民らを救助した。

記録的な大雨により、鹿児島市の中心部を流れる甲突川(こうつきがわ)が氾濫。多くの土砂崩れが発生するなどして、死者・行方不明者は49人にのぼった8・6豪雨災害。あの日、日髙さんは鹿児島市内の宿舎で家族と夕食をとりながらテレビのニュースを見ていて、被害の状況に驚いていた。

すると「竜ヶ水で土砂崩れ。陸からの救助は無理なので海から救助する」と呼び出しがかかり、奥さんの運転する車で、巡視船が停泊している港に向かった。しかし大渋滞で車が動かない。奥さんを宿舎に帰し、歩いて港に向かうことにした。

日髙さんは幹線道路の国道225号を、胸の辺りまで水につかりながら歩いた。途中を流れる新川(しんかわ)も氾濫していた。5~6メートルもの水柱が噴き上がっていた。みかん箱に子供を乗せて避難する人もいた。

水が引いてくるとタクシーがいたので呼び止め、「(巡視船が止まっている)鹿児島新港まで」と言ったら、「あんた何言ってるの!? 私は家族が心配で帰るところだ」と言われ、そのまま歩いた。普段はミニバイクで15分ほどの道のりだが、この日は港にたどり着くのに3時間ほどかかった。

日高さんの講演を聞く若手職員
日高さんの講演を聞く若手職員

ようやく巡視船に乗り込んだ日髙さん。竜ヶ水の国道10号に着いた頃には災害発生から3時間ほどたっていたこともあり、列車や車に取り残された人は既に大部分が救助されていた。残った約100人をボートに乗せて巡視船に運び、鹿児島本港まで送り届けた。

「もう私はここで死ぬんじゃ!」

その後、対策本部から、国道10号沿いの病院の患者を救助せよとの指示がきた。入院患者は車椅子やつえを使用する高齢者がほとんど。付近には土砂崩れの爪跡が生々しく残る。病院のスタッフが患者を外まで運んだが、そこから船に乗せるのに大変苦労した。

串木野海上保安部・日髙弘人次長:
高齢者を乗せた車椅子を、海に背を向け、ゆっくりゆっくり下ろしました。前向きに下ろしてしまうと前に転んでけがをするので、背中を向けて下ろした記憶があります。そういうやり方を何人かやっていました

すると、ある女性入院患者にこんなことを言われた。

串木野海上保安部・日髙弘人次長:
高齢の女性で、運ぼうとしたとき「もう私はここで死ぬんじゃ!余計なことするな!」と、怒られました。しかし、「いやいや絶対助けますから。大丈夫ですよ」と言いながら、なだめながら助けました。でも私の手をかきむしりながら「やめろやめろ!もうここで死ぬんだ!」と言っているのを、ボートに乗せて救助した記憶があります

8・6豪雨災害
8・6豪雨災害

その後、巡視船に乗せた患者を下船させる作業にまわった日髙さん。すると偶然にも先ほどの女性を下船させることになった。

串木野海上保安部・日髙弘人次長:
私の腕をかきむしったおばあさんに私が当たり、抱きかかえながら降りましたが、正気を取り戻したというか冷静な感じで「さっきはごめんね、ごめんね、ありがとう、ありがとう!」と言ってもらって…。助けて良かったと思いました

8・6豪雨災害
8・6豪雨災害

一夜明け、土砂がかぶさった列車や、多くの車が取り残されている竜ヶ水付近の状況を目の当たりにして、日髙さんは「すごい大災害だったんだな」と背筋が凍る思いがしたという。
この時「こしき」を含め7~8隻の船が救助にあたっていたが、船の動力部分に軽石や木の枝が詰まり、動けなくなってしまった。潜水士は日髙さんを含め3人しかいなかったが、疲労困憊(こんぱい)の中、ボンベを背負って海に潜り、異物を除去する作業を続けた。動けるようになった船で、取り残された人の救出が続いた。

若手職員に呼びかけたこと

その後、日髙さんは阪神・淡路大震災の被災地などにも派遣されたが、60歳になった今感じるのは、自分が経験した中で8・6豪雨災害が一番大きな災害だったのでは?との思いだ。講演の最後に日髙さんは、若い職員にこう呼びかけた。

串木野海上保安部・日髙弘人次長:
今までもいろんな災害が発生しています。これからも自然災害は発生するでしょう。だけど備えることはできると思います。今までのこの災害の経験を通し、関係機関と連携しながら、人の命を一人でも多く助けられるような取り組みをしていただきたいと、私は思っています

講演を聞いた若手職員:
現場がとても悲惨な状態で、救助活動が困難だったことを改めて実感することができました

講演を聞いた若手職員:
情報共有してしっかり対策を確立していきたいと思います

あれから30年。ベテラン潜水士をして「経験した中で一番大きな災害」と言わしめた8・6豪雨災害の生々しい体験は、若手職員の胸に深く刻まれ、これからも語り継がれていくに違いない。

(鹿児島テレビ)

鹿児島テレビ
鹿児島テレビ

鹿児島の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。