羽生結弦選手:
すみません。質問の前に、僕から話させていただきたいことを先にお話しさせていただきます。まず、このような形の中で、正直自分もこんなに集まってくださると思ってなくて、今とてもびっくりしているんですけれども、皆さんの前でお話しさせていただく機会を設けてくださいまして、本当にありがとうございます。

写真などで見た方、そしてメディアの方々は当事者として感じられたかと思うんですけれども、まだバブル内で陽性者が出ている中でのオリンピックで、自分がミックスゾーンなどで取材をしていただくときに、どうしても「密」になってしまう、多人数が集まってしまうということがあって、このような大きな会場で質疑応答をさせていただくことと思い、僕はこれに同意しました。本当に足を運んでくださり、ありがとうございます。

そして、ちょっと話したいことがいっぱいあって。自分もちょっと緊張してて、何話しているかちょっとわかんなくなってるんですけど、まず、質問で来ないかもしれないと思って、ちょっと言わせていただきたいことがあって。金メダルを取ったネイサン・チェン選手、本当に素晴らしい演技だったと思いますし、やっぱりオリンピックの金メダルって本当にすごいことなんです。僕も、そのオリンピックの金メダルを目指して、ずっと頑張ってきましたし、そのために、たくさんネイサン選手も努力したんだと思います。彼には4年前の悔しさがあって、それを克服した今があって、本当に素晴らしいことだと思っています。

そして、ちょっと前後しちゃいますけれども、この大会に関係している方々、ボランティアの方々、そして今回、氷を作ってくださった方にも感謝を申し上げたいです。もちろんショートプログラムの時に、氷に引っかかってしまって、なんかちょっと不運なミスだな、というか、悔しかった部分ももちろんありますけど、本当に滑りやすくて、飛びやすくて、気持ちのいい会場で、気持ちのいいリンクでした。本当にこの場を借りて感謝したいと思います。ありがとうございました。

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――きょう演技を終えて、初めてリンクで練習をされたと思いますが、その時に笑顔も見られました。リンクから離れていた数日間は、気持ちの変化はいかがだったでしょうか?

羽生結弦選手:
ありがとうございます。もちろんいろんなことは考えました。自分が4回転半というものに挑んだこと、そして成功させきれなかったっていうことと、そして今まで頑張ってきたこととか、道のりだとか。そして、その道のりの価値とか、結果としての価値とか、いろんなことを考えましたけど、まあやっぱり足首がちょっと痛いということがあって、きょう練習で、あまりジャンプやっちゃいけないって思ってはいたんですけど、まあ痛み止めも飲んでいますけれども、かなり強いものを、許容量以上に。でも、それでも、やっぱりここで滑りたいなって思って滑らせていただきました。

そしてこの3日間、なんですかね?オリンピックのことについてももちろんですし、今までのことを考えていた中で、僕は本当に、いろんな人に支えられてるんだなということと、この足首に関しても、今回この3日間で、すごくたくさんケアしてくださったりとか。本当に、まだ歩くのはちょっと痛いですけどね。歩くのでさえもちょっと痛いですけど。でも、それでも最大限治療してくださったりとか、本当にサポートしてくださったりとか。食事の面でも、栄養の面でも、ケアしていただいたりとか、本当にたくさん支えていただいてるので、なんかそれにもっと感謝したいなって思わされた3日間だったと思っています。

――(フジテレビ・藤本万梨乃アナウンサー)フリーの演技が終わったあと、観客席に向かって、いつも少し長くお辞儀をされて。そしてそのあと、氷に触れて、リンクに何か伝えるようなしぐさをされたように見えたんですが、あの時、羽生選手にはどんな思いがあったんですか?

羽生結弦選手:
実際にあそこに足を運んでくださった関係者の方々も含めて、足を運んでくださった方が、あそこにいらっしゃって、自分の演技自体が結果として、勝敗として、よかったかどうかって言われたら、ベストのものではなかったので。それでも、すごくなんか残念だったなって雰囲気に包まれなかったって言うか、すごく大きな拍手をいただいて、それにやっぱり感謝したいなって思ったのと、実際に目に見えてはいないんですけど、きっとこのカメラ越しの方向に、たくさんの方々が応援してくださっていた。

地元の方も含めて、そして被災地の方も含めて、日本だけじゃなくて、いろんな国々から見てくださっている方のオリンピックならではですし、そういう方々にも感謝を込めたいなと思いました。でもいつも氷にあいさつをするんですけど、まあこのメインリンクで競技するのは最後だなって思って、先ほども言ったように、ちょっと苦しかった部分もあったんですけど。でもやっぱり、この氷好きだなって思って感謝してました、はい。

――フリーのあと、最後に聞いたんですけど、4回転半への挑戦どうされるか、ちょっと考えさせてってことでしたけど、どうなんでしょうか?

羽生結弦選手:
どうなんでしょうかね?まだ自分の中でまとまってはないです。ただ、あの時もそうだったんですけど、今言えることとして、あの今回、これを言うことが正しいのかどうかわからないし、なんか言い訳臭くなって、それでいろいろ言われるのも嫌だなとか、平昌(ピョンチャン)の時もそうでしたけどね。何か言ったら絶対嫌われるっていうか、何かしら言われるんだろうなって怖い気持ちも、もちろんあるんですけど。でも事実なので。

先日の練習で足を痛めて、4回転半で思いっきり、自分の中でも一番に締めて、片足で降りに行って。その時に捻挫しました。その捻挫の程度も思ったよりもひどくて、本来だったら普通の試合だったら、完全に棄権してただろうなって思いますし、今もちょっと安静にしてないと本当はいけない期間で。ドクターの方からは、もう10日は絶対安静にしてねって言われてるんですけど、それぐらい悪くて、その当日の朝の公式練習。あまりにも痛かったんで、どうしようかなと思ったんですけど、そのあと注射を打ってもらって、6分間練習の直前に10分前ぐらいですかね。注射を打ってもらって出場することを決めました。

でも、この注射だったり、その注射の何ですかね?痛みを消してもらえる感覚であったり、また自分自身が、けがをしていて追い込まれていて、ショートも悔しくて、いろんな思いが渦巻いた結果として、アドレナリンがすごく出て、自分の中でも最高のアクセルができたと思っています。なので、きっと、ジャンプにはいろんな技術があって、僕は4回転半というものを習得するにあたって、いろんな技術を研究して、学んで、自分のアクセルにつなげようと思ったんですけど、やっぱり自分自身のジャンプは、負けたくないっていうか、あのジャンプだからこそ、きれいだって言ってもらえるし、僕はあのジャンプしかできないし。

だから絶対に、思いっきり跳んで、思いっきり高いアクセルで、思いっきり早く締めてっていうことを追求しました。その結果としてのそのジャンプとしての最高点には僕の中ではたどり着けたと思っていますし、回転の判定もいろいろありますけど、でも僕の中ではある意味、納得しています。満足した4回転半だったと思っています。

――4日たって、きょう滑ろうと思った理由と、実際リンクに立って滑ってみて、抱いた感情を教えてください。

羽生結弦選手:
正直、本当は滑っちゃいけない期間だったんですけど、どうしても滑りたいなって思って、滑らせていただきました。これからちょっと練習するとは思います。そうですね。スケートのことを本当に嫌いになることはたくさんありますし、フィギュアスケートって何だろうってよく思いますし、僕自身が目指しているものが、フィギュアスケートなのかっていうことも、いろんなことを考えます。

ただ、きょう滑って、今まで習ってきたこととか、小さい頃にやってたこととか、スケーティングに関して、いろいろやってみて、うまくなったなって思ったり、それがすごく楽しかったり、それを見ていただくのは本当に気持ちよかったり、やっぱり僕は、僕のフィギュアスケートが好きだなって思えた、きょうの練習だったと思います。

また何か、ここから練習していくにあたって、またいろんな感情が湧いてくるかもしれないですし、ジャンプ跳びたいなとかって思いながら練習してたんですけど。でも、何かフィギュアスケート自体を、自分が何ですかね、靴から感じるその氷の感触とかを大切にしながら滑りたいなって、今は思ってます。

――東日本大震災の時に避難所で一緒だった坂田俊明さんという方が、金沢市で羽生選手を応援する応援会報誌をずっと作り続けていて、今、北京オリンピックで100号になります。坂田さんはじめ、その被災者の方に、すごく今大会も力を与えてもらったかなと思ってるんですけども、あらためて受け止めを聞かせてください。

羽生結弦選手:
いろんな方々から、いろんな声をいただいたり、もちろん、「おめでとう」にはならなかったかもしれないですし、そうですね、「おめでとうございます」にはならなかったかもしれないですけど、でも本当に、いろんな「よかった」っていう声をいただいて、僕はすごく、ある意味で幸せです。なんか僕は、皆さんのために滑っているところももちろんありますし、僕自身のために滑ってることももちろんありますし。いろんな気持ちの中で、最近フィギュアスケートというものとなんか向き合ってますけど。

何か東日本大震災の時も感じましたけど、何かをきっかけにして、みんなが1つになるということが、どれだけ素晴らしいことかっていうことを、あの東日本大震災から学んだ気がしていて。もちろん、つらい犠牲の中でのことですけれども、僕の演技が皆さんの心が少しでも1つになるきっかけになっていたら、やっぱり僕は幸せ者だなって思いますし。それが東日本大震災とか、そういう災害とかじゃなくて、もっと何か健康的に、何かを犠牲にすることのない、幸せの方向のきっかけだったら、とてもうれしいなって思うので。こんなに応援していただけて、本当に光栄かなと思うと同時に、皆さんも何か自分を応援することで幸せになっていただけたりしたら、うれしいなって思ってます。

――王者として守るのではなく、王者として攻める、王者として挑戦する。あらためて羽生選手にとって、挑戦とは何なのでしょうか?

羽生結弦選手:
挑戦ですね。きっと、別に僕だけが特別だとは何も思ってなくて、別に王者だったからとかじゃなくて、みんな生活の中で何かしら挑戦してるんだと思います。それが大きいことだったり、目に見えることだったり、報道されることだったり、それだけの違いだと僕は思っていて、それが生きるってことだと僕は思いますし、守ることだって挑戦なんだと思うんですよね。だって、守ることって難しいなって思いますし、大変なんですよ、守るって。家族を守ることだって大変だと思いますし、何かしらの犠牲だったり、時間が必要だったりもしますし。だから、何ひとつ挑戦じゃないことなんて存在してないんじゃないかなと。

それが僕にとって、4Aだったり、このオリンピックというものにつながっていたり、ただそれだけだったかなと。だから、僕も挑戦をすごく大事にしてここまで来ましたけど、皆さんも、何かちょっとでもいいから、自分挑戦してたのかなとか。それって、羽生結弦はこんなにほめてもらえてるけど、実はほめられることなのかなって、自分のことを認めて、認められるきっかけになってたら、うれしいなって僕は思います。

――挑戦したオリンピックの演技、冷静に振り返ってみて、満足度ってどのくらいでしょうか?また、自分の今の4回転アクセルができたと言ってますが、これから何をモチベーションにするか、モチベーションを見つけていきたいっていう思いはあるか、2つ聞かせてください。

羽生結弦選手:
まず冷静に考えて、自分の演技がどうだったかということを。まずショートプログラムから。ショートははっきり言って、すごく満足しています。ショートプログラムって、最初のジャンプ、ミスをしてしまったり。まあ何かしらトラブルがあったりとか、氷に嫌われてしまうことっていうか、なんかガコってなったりとか、実際、転倒じゃなかったり、ミスにつながらなかったとしても、ガコってなることは、たまにあることではあるんですね。でも、その中でも、そのあと崩れずに、ちゃんと世界観を大切にしながら、自分が表現したいことプラス、いいジャンプを跳べたっていうことは、そういう点ではすごく満足しているショートでした。

そして、フリープログラムは、もちろんサルコウジャンプをミスしてしまったのは悔しいですし、アクセルもできれば降りたかったなって正直思いますけど、でも、何か上杉謙信っていうか、自分が目指していた「天と地と」っていう物語というか、自分の生きざまって言うか、それにふさわしい演技だったんじゃないかなって思うんです、冷静に考えたとしても。得点は伸びないですけどね。どうやったって、シリアスエラーというものが存在していて、そのルールにのっとると、やっぱりPCSは出ないので、どんなに表現がうまくても、どんなに世界観を表現したと思っても、それが達成できたと自分の中で思っても、上がらないのはわかってるので。それは冷静に考えたら悔しいことではあるかもしれないんですけど、僕はあのフリープログラムもプログラムとして満足しています。

羽生結弦選手:
モチベーションについてなんですけど、正直な話、今まで4Aを跳びたいって、ずっと言ってきて、目指していた理由は、僕の心の中にいる9歳の自分がいて、あいつが「跳べ」ってずっと言ってたんですよ。ずっと「お前下手くそだな」って言われながら練習してて。でも今回のアクセルは、なんかほめてもらえたんですよね。一緒に跳んだっていうか。気づいてくださらない方は、ほとんど気づかないと思うんですけど、実は同じフォームなんですよ、9歳の時と。ちょっと大きくなっただけで。だから一緒に跳んだんですよね。

何かそれが自分らしいなって思ったし、何より、4Aをずっと探していくときに、最終的に技術的にたどり着いたのが、あの時のアクセルだったんですね。ずっと壁を登りたいって思ってたんですけど、いろんな方々に手を差し伸べてもらって、いろんなきっかけを作ってもらって登ってこられたと思っているんですけど、最後に壁の上で手を伸ばしてたのは、9歳の俺自身だったなって。最後にそいつと、そいつの手を取って一緒に登ったなっていう感触があって。

そういう意味では、羽生結弦のアクセルとしては、やっぱりこれだったんだって、なってるんですよね。納得できてるんですよ。だから、それがモチベーションとして、これからどうなるかっていうのはちょっとわかんないですけど、まだ3日しかたってない。4日か、4日しかたってないのでわからないですけど。でも正直、今の気持ちとしては、あれがアンダーだったとしても、転倒だったとしても。いつか見返した時に、やっぱり羽生結弦のアクセルって、軸が細くて、ジャンプ高くて、やっぱりきれいだねって思える、誇れるアクセルだったと思ってます。

――(中国記者)中国のファンに何か一言お願いします。また北京オリンピックが最後のオリンピックですか?

羽生結弦選手:
日本語で答えます。このオリンピックが最後かと聞かれたら、ちょっとわからないです。やっぱり、オリンピックやってみて、やっぱりオリンピックって特別だなって思いましたし。何より、なんて言えばいいんですかね?けがしてても立ち上がって挑戦するべき舞台っていうのって、フィギュアスケーターとしては、そんなところ、ほかにはないので。すごく幸せな気持ちになっていたので、また滑ってみたいなとかっていう気持ちはもちろんあります。

あとはそうですね。そうやって2万件のメッセージをいただいたりとか、手紙をいただいたりとか、また今回ボランティアさんもすごく歓迎してくださったりとか、もちろん中国のファンの方々も含めて、すごく歓迎してくださってるのをすごく感じていて。そういう中で演技するのって本当に幸せだなって思いながら今回滑りました。本当にそんなスケーター、そんな簡単にいないよなって思いますし、羽生結弦でよかったなって思いました。

――(海外記者)近い将来、これからの目標は何ですか?

羽生結弦選手:
4回転半降りたいなっていう気持ちはもちろん少なからずあって、それとともに自分のプログラムを完成させたいなっていう気持ちはあります。ただ、先ほども言ったように、自分のアクセル完成しちゃったんじゃないかなって思ってる自分もいるので、これからこれから先、フィギュアスケートをやっていくとして、どういう演技を目指したいかとか、どういうふうに皆さんに見ていただきたいかとか、いろんなことを今考えています。

まだ次のオリンピックとか、どこでやるのかな? とか、まだちゃんと自分の中でも把握できてない自分がいますし、正直混乱してるんですけど。でも、これからも羽生結弦として、羽生結弦が大好きなフィギュアスケートを大切にしながら、極めていけたらいいなって思っています。

――オリンピック前に、羽生選手は2連覇を持っていて、それを失うのが怖いとおっしゃっていました。ちょうど8年前、ソチで金メダル取られて、8年ずっと五輪王者を背負い続けていた、それがなくなった今、率直にどんな感情が沸いているのか教えてください。

羽生結弦選手:
これは泣かせに来るやつですか?いやでも、とても重かったし、でも、とても重かったからこそ、自分が目指しているフィギュアスケートというものと、自分が目指してる4Aというものを、常に探求できたなって思っています。きっと、まずソチオリンピックで優勝していなかったら、やっぱり報道の数も違ったと思いますし、そこで羽生結弦っていうスケーターがいるんだって。パリの散歩道とかロミオとジュリエットとか、そういう演技を見ていただいて、あ、こんなスケーターいるんだって、注目していただけるきっかけにもなったし、それから応援してくださる方もたくさんいたと思います。そして、平昌オリンピックで「SEIMEI」と「バラード第1番」をやって、それでまた、やっぱり羽生うまいじゃんとか、羽生選手をこれからも応援したいなとか、そうやって思ってくださる方もたくさんいらっしゃって。だからこそ今があるんだと思っています。

もちろん、3連覇っていうことは消えてしまったし、その重圧からは解放されたかもしれないんですけど。でも、ソチオリンピックが終わった時に言ってたことと同じで、僕はやっぱりオリンピック王者だし、2連覇した人間だし。それは誇りを持って、これからもフィギュアスケートで2連覇した人間として、胸を張って後ろ指をさされないように、自分自身が、明日の自分が今日を見たときに胸を張っていられるように、これからも過ごしていきたいなって思っています。

報道スポーツ部
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