10日、羽生結弦選手が最高難度の「4回転アクセル」に挑戦し、国際スケート連盟公認の大会で史上初めて認定されました。「めざまし8」は、羽生選手の恩師を取材。すると、4回転半ジャンプ挑戦の裏には、恩師と交わした約束がありました。

恩師「アクセルは王様のジャンプ」羽生のモチベーションに

羽生結弦選手が、前人未到の4回転アクセルへの挑戦を公言したのは4年前でした。平昌五輪でオリンピック2連覇の偉業を達成し、その翌日に行われた会見で目標に4回転アクセルを掲げていました。

羽生結弦選手:
モチベーションに関しては、スケートをもうやめたいということは全くないです。何よりモチベーションはすべて4回転アクセルだけなので

そして、羽生選手が「4回転アクセル」を跳ぶきっかけとなったのが…

羽生結弦選手:
自分にとって最後の最後に支えてくれたのはトリプルアクセルだったし。何よりも僕の恩師である都築先生が言っていた言葉が「アクセルは王様のジャンプだ」と

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「アクセルは王様のジャンプ」という恩師の言葉。その恩師とは、小学2年生の羽生選手と一緒に映る男性。およそ9年間、羽生選手を指導した都築章一郎さんです。

羽生結弦選手の恩師・都築章一郎さん:
2回転の場合も3回転の場合もアクセルはみんな、半回転多いわけですよね。そういう点では昔から言われている「アクセルは王様」だと

そして、4回転アクセルへの挑戦をめぐり、羽生選手はある約束を交わしたといいます。

羽生結弦選手の恩師・都築章一郎さん:
3年半ぐらい前に羽生と会ったときに、「4回転半どうか」ということを彼に問いただしたら、「なんとか3年半待ってください」っていうような彼から言葉がありましたんでね。それがちょうど今回オリンピックにあたる年になりましたんでね。彼はそのときの言葉をちゃんと自分で実践して、皆さんの前でできるような形まで仕上げてオリンピックに備えたんではないかなと

北京オリンピックまで、3年半の約束。その道のりは、平坦なものではありませんでした。

“諦めない”挑戦 「あれが僕のすべて」

2021年4月、国別対抗戦の公式練習で、合計16回もの4回転アクセルに挑戦するも、いずれも着氷には至らず。そして、8カ月後2021年12月に行われた全日本フィギュアスケート選手権の公式練習では着氷に成功しましたが、試合では惜しくも成功とはなりませんでした。   

羽生結弦選手:
本当にまだ、ここ2週間ぐらいなんですね。何回も何回も身体を(リンクに)打ち付けて本当に死にに行くようなジャンプをずっとしていたんですけど、なんかやっとああいうふうになり始めて、でもそれが毎日できるわけじゃないんですね

史上最高と称されるスケーターでも困難を極めた4回転アクセルへの挑戦。練習で何度も転んでも、諦めませんでした。その後、本番前に私たちの前では一度も成功させることはできませんでしたが、恩師との約束の“3年半”を胸に、北京オリンピックの舞台で挑んだのです。

羽生結弦選手:
明らかに前の大会よりも良いアクセル跳んでましたし、もうちょっとだったなと思う気持ちももちろんあるんですけど、でも、あれが僕のすべてかなって。もちろんミスをしないということは大切だと思いますし、そうしないと勝てないのは分かるんですけど。でもある意味、あの前半2つのミスがあってこそこの「天と地と」っていう物語がある意味出来上がってたのかなという気もします

羽生結弦選手の恩師・都築章一郎さん:
よくぞあそこまで、この大きなオリンピックという場で、それが4回転半のアクセルだということを認められたと言うことは彼の努力に感謝しています

(めざまし8 2月11日)