日本サッカー界の一大イベント、JリーグYBCルヴァンカップ。

リーグ戦、天皇杯と並ぶサッカー国内3大タイトルの一つであり、Jリーグ最強クラブが決まるルヴァンカップFINAL名古屋グランパスvsセレッソ大阪が、10月30日、埼玉スタジアムで2年ぶりに行われる。

その舞台で戦う選手たちにある、それぞれのドラマを追った。

今回は、怪我に苦しみ、家族の支えで蘇った柿谷曜一朗。

順調だった柿谷を襲った最大の危機

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今シーズンから新天地、名古屋グランパスで攻撃陣を牽引する万能型フォワード、柿谷曜一朗、31歳。

ピッチ上で見せる自由奔放なプレーは人々を驚かせ、まさに“ジーニアス”と呼ばれる所以でもある。

4歳からセレッソ大阪の下部組織で育ち、2006年にはクラブ最年少の16歳でプロ契約するなど天才の誕生は華やかだった。

2009年〜2011年の間、徳島ヴォルティスにレンタル移籍、武者修行期間を経て人間的にも成長した柿谷は、2012年にセレッソ大阪に復帰。

2013年に悲願だったセレッソのエースナンバー「8」を背負い、この年21得点を挙げると、Jリーグベストイレブン・Jリーグ最優秀ゴール賞を獲得するなど、まさにチームの中心人物として暴れ回っていた。

しかし2016年、2年間のスイス・FCバーゼル移籍から復帰した柿谷曜一朗に、その後のサッカー人生を大きく狂わす怪我が襲いかかった。

試合中に右足関節じん帯を損傷し、8月には利き足である右足首にメスを入れるという、トップアスリートにとって最大の危機。

精神的に落ち込んだ柿谷は、シーズン終盤で復帰したものの、常に不安と隣り合わせでプレーすることとなる。

絶望の淵から救った家族の存在

J1復帰を目指すクラブを引っ張り続けた柿谷だったが、足首の痛みに耐えながら、本来の実力が出せない日々が続いた。

かつてのヒーローは、大きな焦りの中、絶望の淵に落ちていった。

その頃のことを柿谷はこう語る。

「『セレッソというのは自分が作り上げるもの』、『自分がこのクラブを大きくする』という思いが強かったし、それが独りよがりになっている時もあったというのは、自分でもわかっていた。
ただそれでも自分の中で、幼稚園から(セレッソで)やっていることもあり、固すぎるプライドがあって…」

16歳の頃は周囲が怒ってくれたり励ましてくれたり、誰かが手を差し伸べてくれた。しかし、大人になった今ではそうはいかないことは理解もしていた。

そんな苦難に1人で立ち向かう柿谷に寄り添ったのが、2016年12月に結婚した愛妻・愛実さんだった。

愛実さんは柿谷がセレッソに復帰した頃から、食事面や生活面のサポートを続けていた。

「俺と暮らすために東京から大阪に出てきたのに、どこにも連れて行ってやれなかった。車の運転もできひんし、歩くのも遅い俺の世話をしてくれた。ケガが治った今、目標がたくさんできた」

愛実さんのサポートを受け、本来の力を取り戻すために努力していた柿谷に、2018年11月、長女の誕生という、もう一つの大きなモチベーションができる。

丸高愛実公式instagramより

「大変じゃないですか、子どもを育てるって。その分奥さんがかなり力を使ってくれていると思いますし、僕たちももちろん体を使う仕事なので疲れている時もあるけど、顔を見れば癒されるし」

柿谷の挑戦とそれを支える家族

柿谷は自らのサッカー人生について、いつも誰かの支えがあり、助けられてきた人生だと考えている。

だからこそ今、「俺は、この子のためにプレーする」と口にする。

守るべきモノがあるからこそ自分に厳しくできる。更なる覚悟を持ってサッカーに向き合い始めたからこそ、長い間苦楽を共にした「セレッソ」という愛する場所を離れる大きな決断をした。

今シーズン名古屋グランパスに移籍した柿谷は、鬨を合わせるように次女が誕生。
いつも人生の大きなターニングポイントでは、自分を奮い立たせるかのような、大きな“プレッシャー”があった。

「自分のわがままを聞いてくれる人がいたり、わがままを聞いてあげないといけない人がいたり。ただただサッカーがやりたいだけの少年というところから、今となれば家族もいて、子どももいるので、“責任”というのはついたんじゃないかなと思います」

いつも、そのプレッシャーは幸せを感じさせてくれる。

J1リーグ通算200試合出場も達成した今季、名古屋グランパスの一員として、人生のすべてを懸けてルヴァンカップに挑む。

2021JリーグYBCルヴァンカップ決勝
名古屋グランパスvsセレッソ大阪
10月30日(土) 午後1時〜(フジテレビ系列・全国生中継)
https://www.fujitv.co.jp/sports/soccer/levaincup/index.html