『信長公記』にも記された地獄絵図

鳥取城への主要な兵糧ルートは北方の尾根伝いでした。日本海、そして千代川を船で遡上し運ばれた兵糧が水揚げされ、尾根伝いの支城をリレーする形で、城内へと搬入されていました。

山上ノ丸から北西に伸びる尾根。いくつかのピークに支城が築かれていた
山上ノ丸から北西に伸びる尾根。いくつかのピークに支城が築かれていた

そこで秀吉は河口に砦を築き、海上で船を沈める作戦に出ます。さらに、支城からの補給ルートも断絶させようと猛攻を加えます。

支城攻めで活躍したのが宮部継潤。大河ドラマ『豊臣兄弟!』ではドンペイ演じる、煮ても焼いても喰えなそうなあの坊主です。継潤は鳥取城落城後、城代としてこの城を任せられます。

補給ルートを絶たれ、万事休す。鳥取城内の兵士と領民、合わせて約6000人は、三木城にも匹敵する悲惨な飢餓状態へと陥らざるをえませんでした。

山上ノ丸の北側の出丸。眼下に見えるのは鳥取市街
山上ノ丸の北側の出丸。眼下に見えるのは鳥取市街

『信長公記』にも、その凄まじい現場の様子が描かれています。牛馬を食らい、餓鬼のように痩せ衰えた男女が城の柵までにじりより、「助けてくれ」と叫んでいたそうです。

織田方も哀れとは思いつつ鉄砲で撃つと、撃たれた人の所に人々が集まり、刃物で手足の関節を離し、肉を取り頭部を奪い合っていた、と記述されています。

吉川経家公墓所。鳥取城北西麓にひっそりたたずむ
吉川経家公墓所。鳥取城北西麓にひっそりたたずむ

「三木の干し殺し」に対して、「鳥取の渇(かつ)え殺し」。比喩ではなく、地獄絵図がそこには広がっていたのでしょう。包囲が始まって約3カ月が経った10月25日に、経家は鳥取城の開城を決断し、自身は切腹しました。