岩手県盛岡市に住む鈴木勝良さん(76)は、5歳の時に交通事故で両足を失いながらも、プログラマーとしての仕事や多彩なスポーツに情熱を注いできた。差別や困難を乗り越えてきた自身の体験を伝える講演活動は、7月6日に200回目の節目を迎えた。困難に直面する若者たちへ「人生は捨てたものじゃない」と語り続ける鈴木さんの不屈の歩みと、次世代に託す熱い思いを追った。
多彩なスポーツへ挑戦する情熱
床に座った状態でプレーする「シッティングバレーボール」の練習場では、障害者と健常者が一体となって白球を追っていた。
この盛岡市内のサークルで、両腕を巧みに使い果敢にボールに向かうのが、鈴木勝良さん(76)だ。
鈴木さんは、「足はなかったけれど、小さい頃から、体を動かすのはすごく好きだった」と振り返り、練習で汗を流す時間は格別だと話す。
常に笑顔で前向きな姿勢を崩さない鈴木さんに対し、サークルの仲間たちは、「優しく包み込む人柄で頼りにしている」「色々なことに挑戦する素晴らしい大先輩だ」と尊敬の念を口にする。
過酷なリハビリと差別に直面した過去
鈴木さんが両足を失ったのは71年前のことだった。大船渡市に生まれた鈴木さんは、5歳の時に交通事故に遭い、両足を切断した。
義足の訓練は慣れるまで強い痛みを伴った。さらに志望する高校への進学やアパートの賃貸契約が結べないといった差別に苦しむ日々が続いたが、周囲の支えや抱き続けた夢が困難を乗り越える原動力となった。
鈴木勝良さん:
人生・運命をうらめしく思ったことも数えたらキリがないくらいあるけれど、困難を乗り越えたことは自分にとって自信になってくる。
壁を突破し広げた可能性の翼
盛岡市の養護学校を卒業後、東京都の専門学校に進学した鈴木さんは、コンピュータープログラマーとして東京で10年間勤務した。その後、盛岡市内の企業に転じ、長年職務に励んだ。
仕事の傍ら、スポーツへの挑戦も継続した。
最初に始めた水泳では練習を積み重ね、2016年には障害者スポーツの岩手県大会で2種目優勝を成し遂げた。
仕事の傍ら、好きなスポーツにも挑戦した。最初に始めた水泳では練習を積み重ね、2016年には障害者スポーツの岩手県大会で2種目で優勝を成し遂げた。
さらに、雪山では座ったまま滑走するチェアスキー、空ではスカイダイビングやパラグライダーなど、夢だったさまざまなスポーツを経験してきた。
障害を理由に諦めるのではなく、実現するための方法を模索し、挑戦を継続してきた。
鈴木勝良さん:
何かやりたいと思って挑戦をすると必ず人との出会いが待っている。自分一人では決してここまでこられなかった。
節目を迎えた23年間の講演活動
鈴木さんは、自身の体験が困難に直面する誰かの力になることを願い、若い世代に向けた講演活動を続けている。2026年で23年目を迎える息の長い活動だ。
7月6日、鈴木さんは200回目の節目となる講演を矢巾町にある高等専修学校・星北高等学園で行った。
鈴木さんは、自身の体を支えながら移動する様子を実際に行いながら、「私はご覧の通り両足がありません。握りこぶしを作って手の甲を下にしてこうやって這うようになった」と説明した。
生徒を前に、「やりたいこと、好きなこと、夢があなたを強くする」というテーマで自身の人生にいて語った。
鈴木勝良さん:
困難はあっても、朝日を浴びるような爽快感が待っています。
鈴木さんは両足を失いながら数々のスポーツに取り組んだ経験を踏まえ、一つ一つの挑戦の積み重ねが大きな夢の実現につながると語りかけた。
鈴木勝良さん:
人より劣っているところがあったからと、ガッカリすることはない。大切なのは自分は自分。周りを気にせず自分の目標を定め、それに向かって進むこと。
「人生は捨てたもんじゃない」
生徒たちは真剣な表情で鈴木さんの言葉を受け止めていた。
受講した高校2年生の生徒は、何事に対しても「やればできる」というマインドに強い刺激を受けたと感想を述べた。
また別の生徒は、障害があっても諦めずに夢へ突き進む姿に感銘を受け、自らも夢を見つけて挑戦していきたいと決意を語った。
鈴木さんは2026年3月に長年続けた仕事を退職した。今後は、講演活動にさらに注力する意向を示している。
鈴木勝良さん:
色々な思いをしながら生きている人は、健常者であろうが障害者であろうがいっぱいいると思うが、自分の体験を通して、絶対人生は捨てたもんじゃないと伝えたい。
好きなことに挑戦し夢を追い続けてきた鈴木さん。
その76年の歩みはこれからも誰かの新たな一歩を後押し続ける。

