だしと卵の甘みが旨味を引き立てる「うまき」

次に2人が食べたのはうなぎの串。植野さんは「肝臓」と「腎臓」、八嶋さんは珍しい「なかおち」を。

なかおち
なかおち

なかおちは骨の周りについた身の部分をそぎ、串に巻きつけたもの。1匹からほんのわずかしか取れず、ひと串で13匹のうなぎを使っているそうだ。

そんな珍しい「なかおち」を口にいれた瞬間、八嶋さんは「めちゃくちゃおいしい」と感激し、治雄さんに直接気持ちを伝えていた。

うまき
うまき

そして出てきたのが、人気メニュー「うまき」。うまきとはたれで焼いた蒲焼を、だしを溶いた卵焼きで包んだもの。だしと卵の甘みがうなぎの旨みを引き立てる。

まずは卵の部分を口に入れた八嶋さんは「う~ん」とうなり、うなぎの部分を食べた瞬間、拍手が飛び出した。

植野さんも一口食べると「うなぎの美味しさと卵が対等に融合している。この厚みに意味がある」とうなずく。

人との出会いが俳優人生の道しるべ

奈良県で生まれ育った八嶋さんは、俳優を目指した原点は中学、高校の青春時代にあったと語る。

「とにかく思春期には“モテたい”、“キャーキャー言われたい”がありました。見てくれも良くないし運動も勉強もできなかったけど、人前に出てワーワーやっていると人気者になれる土地柄で。学校でも学園祭でお芝居をやらなくてはいけない学年があって、それでやり始めたら楽しくなっちゃって。ちょうどその頃にバンドや小劇場ブームが出てきたけど、関西には小劇場やる劇場がない。東京に出ないと話にならないと思って、高校2年生の春休みに東京を旅行して、地図を片手に劇場を片っ端から回って」

こうして東京へ出てくる決意した八嶋さんはその後、日本大学に合格し奈良から上京。劇団「カムカムミニキーナ」を旗揚げすることに。

植野さんから劇団員時代の下北沢の食の思い出について聞かれると、「珉亭(みんてい)とか良く食べに行きました、当時はチャーハンも赤くないです」と笑う。

下積み時代の苦労も「あまりないです」と話し、「売れてなかったと思うけど、半年で劇団旗揚げして、仲間もいて、楽しいは楽しかったです」と思い出を語った。

幼少期から明るい性格の八嶋さんは、「出会い運がいい」といい、それが俳優人生の道しるべになったと振り返る。

三谷幸喜さん主宰劇団「東京サンシャインボーイズ」、同劇団に1995年まで所属した脚本家・演出家の福島三郎さん、「HERO」の監督・鈴木雅之さんといった、数々の人との出会いを経て今があるという。