「私には特別な投資の才能はありません。投資を始めた直後中国株に投資したらリーマンショックが直撃して、株が紙切れになったこともある。それ以降は地道な長期・分散投資スタイルですね」
イノリンさんは、静かに言った。
仕事を選ぶことなんて夢だった
就職氷河期。1993年から2004年、深刻な不況が直撃した時代だ。現在50歳のイノリンさんは、その波をまともに受けた一人だ。
「就職セミナーでは、ブースの椅子に座れないぐらい立ち見で求職者が溢れていて。あの光景を見たら、参加すること自体が怖くなり何も出来ず帰ってきました」
ようやく入社できた食品会社の初任給は手取り17万円。翌年から税金が引かれ16万円台に落ち、そのまま30歳近くまで手取り20万円の壁を超えることはなかった。
「先が見えなかったからこそ、節約と貯金が当たり前になったんです。それ以外に選択肢がなかったですから」
ぜいたくを削り、余計なものは買わない。当時は仕方なく身についた習慣だった。毎年100万円を貯めるという目標を達成し続け、30代で貯金1000万円を達成した。それを元手に地道な投資を続け、今に至るのだ。
「このまま働き続けたら、壊れる」
43歳でようやく係長に昇進し、手取りが30万円台に届いた。給与と引き換えに、毎月の業務改善活動の結果報告が義務付けられた。管理業務の他にも多種多様な雑務を引き受けねばならないうえに、システム関連のイレギュラーな業務も積み上がった。
5人いた部署のメンバーは、ひとり、またひとりと減っていった。部員が3人になった頃、ひとりが脳梗塞で救急搬送され、たった2人に。それから1年間、人員補充もないなか、責任者として激務をこなさねばならなかった。
「必死に仕事をしても、クリアする度に『もっといけるやろ』って上からの無言のプレッシャーを掛けられ、どんどん追い込まれていくんです」
もともと55歳での早期退職を考えていたが、心身の限界が先にやってきた。資産が8300万円に達したタイミングで、イノリンさんは退職を決意した。49歳だった。
「元々はFIREが目的だったわけではなくて、退職の5年ほど前に、その概念を初めて知ったくらいです。そのとき『こういうのができるんか』と思って。自分の配当収入と生活費を照らし合わせてみたら、配当だけで食っていけそうだった。そこで踏み切りました」
生活費は月約10万円。3つの暮らしの工夫
現在は配当金の範囲内で節約しつつFIRE生活を満喫するイノリンさん。彼の生活を支える暮らしの工夫を聞いた。
