セツは物心ついてからずっと、重荷を背負って生きてきた。家族や親族たちの生計に責任を負い、金の算段に明け暮れる日々。ハーンと結婚してからも、癇癪持ちの夫がいつ職を辞して無職になるかと、不安は尽きなかった。

ハーンの蔵書を寄贈したことで、ホッとした気分になれた。

肩にかかる荷をすべて降ろして、残りの人生をもっと軽やかに楽しく、自分のために生きてみよう。

大好きだった歌舞伎や芝居の観劇にはさらに熱中するようになり、また、鼓や謡曲、茶道など趣味がどんどん増えてゆく。茶道は玉川遠州流皆伝の腕前。親しい知人を屋敷に呼んで広い庭で野点を楽しんだり、趣味仲間と温泉旅行にでかけたり、楽隠居の日々を楽しむようになる。

気がかりだった長男の一雄も、結婚後、埼玉県の田舎に家族で転居して療養。狩猟など趣味を楽しむ暮らしで病はかなり改善し、執筆活動を開始(のちに小泉八雲研究の一級資料となる『父「八雲」を憶う』を上梓)。

いまがいちばん幸福だ。それを実感することで過去のわだかまりも氷解する。避けていた故郷・松江に帰省するようになる。

雑司ヶ谷墓地で仲睦まじく眠る

昭和7年(1931)2月18日にセツは満64歳で死去した。前年に脳溢血で倒れ、それが再発したのである。ハーンの最期と同じで、彼女も微笑を浮かべながら安らかに果てていったという。

雑司ヶ谷墓地。中央がハーンの墓で、左がセツの墓
雑司ヶ谷墓地。中央がハーンの墓で、左がセツの墓

あの世でハーンと再会した時に、どんな話を語って聞かせてあげようかと、楽しい思案でもしていたのだろうか…。亡骸は雑司ヶ谷墓地で眠るハーンの隣に葬られた。現在もふたりの墓石は、寄り添い語りあうようにして仲睦まじく立っている。

青山 誠(あおやま・まこと)
作家。近・現代史を中心に歴史エッセイやルポルタージュを手がける。近著に『小泉八雲とその妻セツ 古き良き「日本の面影」を世界に届けた夫婦の物語』(KADOKAWA)。

青山誠
青山誠

作家。大阪芸術大学卒業。近・現代史を中心に歴史エッセイやルポルタージュを手がける。著書に『ウソみたいだけど本当にあった歴史雑学』(彩図社)、『牧野富太郎~雑草という草はない~日本植物学の父』、『三淵嘉子 日本法曹界に女性活躍の道を拓いた「トラママ」』、 『やなせたかし 子どもたちを魅了する永遠のヒーローの生みの親』、『小泉八雲とその妻セツ 古き良き「日本の面影」を世界に届けた夫婦の物語』(以上KADOKAWA)などがある。