2026年度前期朝ドラ『風、薫る』の主人公のモデルとなった大関和(チカ)はどんな人物?近・現代歴史作家の青山誠さんが考察する(第3回)。

文・写真=青山誠

キリスト教の影響で看護婦の道へ

明治19年(1886)11月、和は桜井女学校附属看護婦養成所に入所した。通訳を目指していたはずが、どうして看護婦に…。それは、植村正久牧師に説得されてのことだった。英語の勉強を通じて聖書やキリスト教に興味を持つようになり、植村の教会にも通うようになっていたのだが、

「あなたは通訳よりも、看護学を学んでナースになるべき。そちらのほうが向いています」

と言われ、看護婦になることを勧められた。

植村正久が創立以来38年間牧師を務めた東京・千代田区の富士見町教会(筆者撮影)
植村正久が創立以来38年間牧師を務めた東京・千代田区の富士見町教会(筆者撮影)
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キリスト教は古くから医療活動を通じて社会に貢献しようという理念があり、各国で看護婦養成学校もさかんおこなっている。日本のキリスト教指導者たちも、看護婦学校の創設に向けて動きはじめていた。

正式な看護教育を受けて知識と技術を習得した看護婦は、欧米でトレインド・ナース(Trained Nurse)と呼ばれ、プロの医療技術者として尊敬され高い報酬を得ている。男尊女卑の日本社会では、女性が十分な収入を得られずそれが自立を難しくしていた。看護の技術を身につければ、女性の自立におおい役立つ。

また、トレインド・ナースが増えれば医療現場での近代化も進む。一石二鳥。だが、日本では「看護」のイメージが悪過ぎて、それが普及の大きな妨げになっていた。

当時の「看病婦」のイメージは最悪

この頃、患者の世話をする者を「看病人」「看病婦」と呼んだ。医療知識や技術のない素人ばかり、雇う側でも雑役夫や小間使いの扱い。血や膿に触れる仕事で感染の危険性も高い。不人気職業で成り手がおらず、売春宿を引退した遊女や遣手婆を雇う病院も多かったという。それがなおさら「看護」に対する世間のイメージを悪くした。