ガーシーこと東谷義和容疑者の参議院議員失職のニュースを北京で見ながら、中国と日本の国会の違いを痛感した。折しも中国の国会にあたる全人代(全国人民代表大会)が開かれ、習近平国家主席が全会一致の2952票を獲得して3期目の政権をスタートさせていた。

元参院議員のガーシーこと東谷義和容疑者
元参院議員のガーシーこと東谷義和容疑者
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国民14億人の代表全てに反対や異論がないことにも驚くが、有権者に選ばれた議員が国権の最高機関に一度も出席することなくその職を失うのも異例だ。人は生まれながらにして善か悪か、人と法との関係を中国の実態と比較する。

習主席は満票で再選された
習主席は満票で再選された

事前に決まっている中国の国会

中国の国家運営に関わる重要な会議は北京市の人民大会堂で行われるが、記憶に新しい「事件」といえば2022年秋の共産党大会で胡錦涛前国家主席が退席したことだろう。

第20回共産党大会の閉幕式で胡錦濤前国家主席が途中退席(2022年10月)
第20回共産党大会の閉幕式で胡錦濤前国家主席が途中退席(2022年10月)

ある外交筋から「中国は大事な投票行動などは事前に何重にもチェックするので、想定外の事態は絶対起こらないようにする」と聞いた。「何か行動を起こそうとする人は会議にも出られない」という。

つまり胡錦涛氏の退席は不慮の出来事、病気だったという見方がこちらでは支配的だ。

江沢民元主席の葬儀に出席していた胡前主席(左)(2022年12月)
江沢民元主席の葬儀に出席していた胡前主席(左)(2022年12月)

胡前主席は江沢民元国家主席が亡くなった際には葬儀にも出席している。「お咎め」はなかったということだろう。

別の外交筋は「中国は愚人政治だ」と語った。「中国はもともと性悪説で、民衆の意見を聞いていたらキリがない」というのだ。

確かに党や政権の幹部は「指導部」と呼ばれ、「治める」ではなく「指導する」という言い方をよくする。日本のように知名度を生かした、いわゆる「タレント議員」は全人代には出てこない。

NHKの19時のニュースにあたる中国中央テレビの「新聞聯播」のトップニュースは、ほぼ習主席の動静だ。治める側に権威付けをする意味もあるだろうが、当然民意は反映されていない。

全人代では事前に入念な準備が行われていた
全人代では事前に入念な準備が行われていた

翻って日本は、国会議員が登院しないことを想定していなかったのだろう。中国とは逆の性善説だと言っていい。国の権威を批判した候補がその権威の一員になるというのも皮肉だが、これは民意が反映された結果だ。

資格があっても登院しない議員がいた日本と、登院しても行動が決められている中国。一概に比べられるものでもないだろうが、どちらにも割り切れないものを感じる。

人民大会堂の中。日本と同様「赤絨毯」だ
人民大会堂の中。日本と同様「赤絨毯」だ

まとまらない中国と「力の政治」

そもそも中国は国土が広大で、都市部と農村部、沿岸部と内陸部、北部と南部で貧富の格差や文化、食、生活習慣、言葉も違う。民族の数は56ある。都市部を中心に経済が発展し価値観も多様化する中、「民意をはかる」といってもその難しさは日本の比ではないだろう。

貧富の格差は今も深刻だ
貧富の格差は今も深刻だ

さらに中国社会は個を尊重する傾向が強く、メンツを重視するのは有名だ。「愚人政治」を語った外交筋によると「選挙をやっても混乱が起きるだけだ」という。指導部にとっては一致点を見出すより、強い力で国を治める方がいいと考えても不思議ではない。

週末の繁華街は人であふれる
週末の繁華街は人であふれる

その力を担保するのが国民の支持だ。現実には、国民の不満を爆発させないための手段という方が近いかもしれない。

民意を聞く代わりに指導部が使うのが国民を引き付けるスローガンだろう。90年代の江沢民政権時には国民の利益を広く代表する「3つの代表」や「愛国(教育)」、その後の胡錦涛政権では持続可能な発展を目指す「科学的発展観」、これまでの習近平政権では「脱貧(困)」や「共同富裕」などだ。

3期目に入った習主席はこの全人代で「強国」をさらに強調した。この「強国」で国民の支持を得つつ、対外的にはアメリカ大統領選を巡る混乱などに乗じて民主主義の限界を宣伝し、「中国式統治」の正当性を広くアピールしている。ちなみに強気の姿勢を打ち出す中国の「戦狼外交」には国内の不満を海外に向ける狙いがある。中国の外交は国内が安定しているかどうかと表裏一体で、国内が不安定になればなるほど、対外的に強硬な態度に出ることが多い。

タブー以外は“OK”な中国

その中国の国民は強い指導力、力で押さえつけられる政治に不満を募らせているかというと必ずしもそうではなさそうだ。大雑把に言えば市民の頭には「権力を批判しないこと」「政治的な行動、発言をしないこと」が染みついている。タブーと言ってもいいだろう。逆にタブー以外のことは自由にやっていいという考えだ。

「中国の法律は理念的なことが多く、細かなことが書かれていない」(別の外交筋)というように、法に触れるかどうかは当局の裁量にゆだねられる場合が多い。法に縛られるというより人が法を運用する社会で、これが「法治国家」ではなく「人治国家」と呼ばれる所以だ。

日本と比べると権利や自由の範囲は狭いが、中国は中国なりの「民主」や「人権」を主張している。投票行動を通じて意思表明することは出来ないが、与えられた範囲の中で自分の権利を最大限に生かしている市民は案外楽しそうに見える。

日本は“幸せな国”

では日本はどうか。「日本は幸せな国だ。なぜなら有権者の2人に1人は投票しなくてもいいと思っているのだから」(自民党関係者)。国政選挙の投票率が50%前後であることを踏まえた分析だ。日本は政治に期待することがないほど成熟した国になったのか。期待しても実現しないというあきらめが広がっているのか。逆に選ばれる側の国会議員は衆議院なら最長4年、参議院なら6年で失業し、国民の信任を得なければならない。選挙区の支持を得つつ、日本のことを考えなければならない過酷な職業だ。

政治への参画が有権者の半分である国と、そもそも政治に参画出来ない国。もはや良し悪しという次元では語れない違いである。

(FNN北京支局長 山崎文博)

山崎文博
山崎文博

FNN北京支局長 1993年フジテレビジョン入社。95年から報道局社会部司法クラブ・運輸省クラブ、97年から政治部官邸クラブ・平河クラブを経て、2008年から北京支局。2013年帰国して政治部外務省クラブ、政治部デスクを担当。2021年1月より二度目の北京支局。入社から28年、記者一筋。小学3年時からラグビーを始め、今もラグビーをこよなく愛し、ラグビー談義になるとしばしば我を忘れることも。